小説特殊慰安施設協会: RAAその興亡の半年 Kindle版
新宿を抜けて信濃町辺りを過ぎると、中央線の窓から見える景色は焦土だけになった。
瓦礫と化したビル。燃え尽きたまま佇む街路樹。神田川沿いの雑木林は、まるで黒焦げの骸骨の群れのように見えた。民家は何処も焼け落ちて、山のような家具・家の残骸が雨風に晒されて黒い塊りになっている。千鶴子は席に座らないまま木製の扉に寄りかかりながら、小さな覗き窓からそれを見つめていた。
新宿まで大混雑していた車内も、東京へ向かう人は少ない。空いてる席は有ったが、千鶴子は立ったまま窓の外を見つめていた。車両の窓はすべて開け放れている。その窓から吹き込む夏の風には、まださまざまなものが焼け焦げた臭いが混ざっているような気がした。
3月の深夜にあった大空襲の日も、千鶴子は始発でこの電車に乗った。そのことを思い出していた。千鶴子が嫁いだ竜造寺家は東中野にある。その辺りは、それほど大きな被害はなかったのだが、実家のある京橋区木挽町は、あの日すべてが燃えた。父も母も。
あの日。深夜に鳴り響いた空襲警報のあと、千鶴子はどうしようもない胸騒ぎに襲われて、朝のラジオのニュースを聞いて、すぐに実家まで安否を確かめに出た。電話をかけても父母が出なかったからだ。
幸い中央線は断続的だが走っていた。ようやくたどり着いた東京駅は、昨夜の爆撃の傷が生々しく、駅員たちが後片づけに走り回っている。千鶴子は燃え燻るビルを避けながら、八重洲口から京橋を抜けて、実家のある木挽町へ小走りで急いだ。
新京橋から京橋川を渡れば木挽町だ。町の様子は、その橋の上から見えた。何もかも、跡形もなく焼け崩れ、瓦礫の山になっている。橋を渡ると、黒く炭化した死体が散乱している。千鶴子は、そのまだ燃え燻る家が立ち並ぶ昭和通りを、駆け出した。智恵子の実家は木挽町病院のすぐ傍だ。
「かあさん!父さん!」思わず叫びながら。智恵子は昭和通りを走った。
しかし松屋通りまでたどり着かないところで、智恵子は呆然と立ち止まった。どこが実家なのか・・判らないほど炎と爆撃で、すべてが燃え崩れている。焼け野原の向こうに黒く焼け崩れた歌舞伎座が見えた。どこがウチなの?どこが?? 焼け落ちた家屋から、無数に白い煙が立ち昇っていた。千鶴子も焼け出された人と共にただ立ち尽くした。
あのときのことがまるで大昔のことのような気がする
大学で英文学を教えていた千鶴子の父は、この戦争について「無謀だ」と言い続けていた。そして「必ずこの街は燃える」とまで言っていた。女学校を卒業したばかりの千鶴子をすぐに竜造寺家へ嫁がせたのも、もしかすると父は、この焦土と化した東京を幻視していたからかもしれない。その父も母も、あの空襲の日からいない。
しかし無限に続くと思われた戦争が、唐突に8月15日に終わった。2週間前である。
神田で省線に乗り換えた。省線は混んでいた。それでもなんとか乗れた。新橋で人ごみに押されながら降りると、千鶴子はすぐに時計を探した。階段のすぐ上にあった。午後一時を少し回ったところだった。間に合う。千鶴子はそう思った。そして握りしめていた折りたたんだ今朝の新聞を、立ち止まってもう一度確かめた。
「職員事務員募集 募集員数五十名 男女ヲ問ハズ高級優遇ス
他二語学二通ズル者及 雑役 若干名
自筆履歴書持参毎日午後 一時ヨリ同四時迄来談ノコト
京橋区銀座七ノ一 特殊慰安施設協会 電話銀座九一九・二二八二」
29日付けの朝日新聞の片隅に小さく載った広告だ。義父の仕事机の上を片づけている時に、千鶴子はその広告を見つけた。千鶴子は、その「銀座」という文字が目の前で爆発したような気がした。これだと思った。そして新聞をつかんで、そのまま家を飛び出した。うしろから義母が「千鶴子さん、どこ行くの?!」という叱責が聞こえた。千鶴子は無視した。
小走りに駅まで歩きながら、エプロンの中のポケットを探った。10銭玉がいくつか有った。これで省線に乗れると思った。
新橋の駅前は思いのほか焼き崩れていなかった。類焼を防ぐために駅の周辺は広く空地にされていたからだ。銀座口の改札を出ると、すごい人混みだった。東口の空地にヤミ市が開かれているためだ。駅前の人混みはそのせいだった。千鶴子はその人混みを避けて、ガード沿いに車道を渡って土橋を渡った。そして御門通りを歩きながらもう一度新聞を見た。
「銀座七ノ一 特殊慰安施設協会」
七ノ一だから、中央通り沿い東側だわ。千鶴子はそう思った。父と二人で銀座通りを散策していた時、父が「銀座通りは奇数番地が中央通りの東側。偶数番地が西側に区画整理されているんだよ」と言ったのを思い出したのだ。
中央通りに架かる新橋を、右に見ながら左へ曲った。中央通りに並ぶ建物は、新橋側はあまり爆撃を受けていない。しかし6丁目から向こうは大半が崩れ落ちているようだった。瓦礫の山が見える。遠くに服部時計店のビルが見えた。銀座も燃えたんだ。千鶴子はそう思った。歩きながら見上げると、立ち並ぶビルの窓ガラスは大半が吹き飛んでいた。本当にこんな街にある会社が事務員を募集しているの?千鶴子はそう思った
第1回目の銀座への空爆は昭和20年1月17日に行われている。マリアナ諸島を飛び立ったB29が午後2時3分、銀座上空に至り、有楽町周辺と銀座4丁目周辺に焼夷弾と爆弾の雨を降らした。その日、199人の民間人が死んだ。重軽傷は440人。
続く3月10日深夜、いわゆる東京大空襲の日。向島、本所、城東、深川、浅草、日本橋という人口密集地区に徹底的な絨毯爆撃が行われ、一夜で10万人の人々が亡くなった。銀座周辺では、銀座1丁目2丁目。銀座西1丁目2丁目。木挽町1丁目に焼夷弾が集中的に投下され、この地区は火の海と化した。同じく八丁堀、小田原町、月島も燃えた。
そして5月24日25日の空襲で焼け残った地域に、まるで赤鉛筆で塗りつぶすように焼夷弾がばら撒かれた。特に25日の夜10時に行われた爆撃で、三越、松屋、松坂屋、歌舞伎座、読売新聞社が炎上した。この4回の空爆で銀座とその周辺の街は焦土と化し、夥しい民間人が骸となった。
銀座は新橋から歩くと、花椿通りまで八丁目、そこから先が七丁目になる。開いている店は殆どなかった。だから幸楽のビルに貼り出されていた「特殊慰安施設協会」の紙はすぐに見つかった。中華料理店の店構えのままだった。ここで?千鶴子は訝りながら入った。
中は如何にも急場しのぎの事務所になっていた。国民服姿の男たちが忙しげに働いている。机の大半が、普通の中華料理屋のテーブルだった。
「・・あの」千鶴子が声を出すと、一番手前のテーブルに座っていた若い男が振り向いた。
「なに?」
「広告を見たんですけど。」
「応募の人?」
「はい。」千鶴子がおずおずと言うと、若い男は後ろを振り向いて大きな声で「尾崎さん!応募の人!」と言った。
奥の席に座っていた、痩せた男が千鶴子のほうを見た。「応募?早いね。こっち来て!」
千鶴子は若い男に頭を下げてから奥へ入った。尾崎と呼ばれた男は、事務机に座っていた。