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石油の話#27/ファイサル国王の琴線に触れたもの
戦前戦後に渡って圧倒的な力で世界を制覇しようとしたロックフェラー家でしたが、彼らがどれほど暗躍し権力を振るったとしても、その支配力が不沈不動にはなりませんでした。確かに一時的には支配を維持できるかもしれませんが、長期的には不満や抵抗が膨らみ、最終的に支配者は敗北するのです。これは歴史が繰り返し示してきた事実であり、多くの帝国や政権がこの流れの中で滅亡してきました。
こうした歴史が持つ自浄作用を正しく理解していたのが、ヘンリー・キッシンジャーでした。
1974年、彼はリチャード・ニクソン大統領の政権下で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めており、当時46歳でした。彼は米中間の「ピンポン外交」を推進し、冷戦下における米国の戦略的地位を強化することに努めていました。
この年、キッシンジャーはサウジアラビアを訪問しています。彼はファイサル国王らと会談しました。この時、キッシンジャーが国王に密談として提案したのは、サウジアラビアの石油取引を米ドル建てにするというものでした。そして、この見返りとして米国はサウジアラビア王家の安全保障を保証するというものでした。この提案はファイサル国王にとって極めて革新的であり、彼が当時直面していた内外の懸念を一挙に解決する可能性を秘めていたのです。当時、ファイサル国王が抱えていた問題は多岐にわたります。
サウジアラビアは、急速な近代化による社会不安石油収入の増加により近代化が進められていましたが、それに伴いイスラム原理主義運動が国内で広がっていました。伝統的な価値観を守るべきだとする勢力が政府に反発し、政治的な不安定要素となっていたのです。
そして中東はソ連の影響力が拡大し、中東地域にも共産主義の脅威が及んでいました。特に、イエメン内戦(1962–1970)では、サウジアラビアは王党派を支援しましたが、最終的に共和派が勝利し、サウジの安全保障上のリスクが急速に増大していました。
そして何よりも王室内の対立と王位継承問題です。サウジアラビアは慢性的に王位継承を巡る対立が暗躍する国家でした。王は常に親族によるクーデターや暗殺の危険にさらされていたのです。
・・これらの課題に対処するため、ファイサル国王は1974年に米国と秘密協定を結び、石油取引を米ドル建てで行うことを承諾しました。米国はサウジアラビアの安全保障を保証し、軍事支援を提供。サウジアラビアは石油の販売をドル建てに固定し、石油収入の一部を米国債や米国経済に投資するという密約です。
この協定は、ファイサル国王にとって国家の安定を確保するための重要な政治的決断でした。しかし残念ながら、その翌年の1975年3月、ファイサル国王は甥のファイサル・ビン・ムサーイドにより暗殺されてしまいます。米国の軍事力をもってしても、近親者からの暗殺は防ぐことができなかったのかもしれません。
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