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星と風と海流の民#03/太平洋諸島信託統治領

アンダーセン基地にあるU/S/O担当官を訪ねると、彼には何も連絡が入っていなかった。いつものことなのでビックリしなかったが、ウタパオで渡された通達書を見せると「おお!Operation New Lifeに相乗りしてきたのか?」と驚いていた。
「KADENAには頻繁に飛んでいるから、相乗りで良ければいつでも手配できるよ」
「どうする?明日飛ぶか?しばらく島で休養するか?滞るなら宿泊できるところを用意する。仕事も手配するぜ」管理官が笑いながら言った。
僕はその時、とっさにアガナ空港のことを思い出した。
「休暇でも良いですか?」
「休暇?」
「しばらく養生したいです」
「ああ、かまわない。長い従軍だったからな・・」そう言いながら管理官は僕の履歴レポートを見た。
「お前、結局4年この戦争に付き合ったのか?すごいな。俺より長い。OK。好きなだけ時間を使え。飽きるまで。その間は勤務中扱いにして給与は払う」
「ありがとうございます」
「Humping the boonies is done。旅へ出るのか?」


「はい。南の島へ出てみたいです」
「どこへ行きたい?飛んでる便を調べてみる」
「いえ。アガナ空港から民間機で飛んでみたいです」
「おお!いいな。アメリカ統治領TTPI内の島なら、お前のパスポートで何処も歓迎してくれるぜ。ところで、どこの島へ行きたいんだ?」
「カロリン諸島ポナペ」
「ポナペか・・駐屯地はないな。まあ、もともとミクロネシアには米軍基地がないんだがな。あのへんだとマーシャル諸島のクェゼリン環礁までだ」
「民間機で行ってみます。二週間ほど時間をください」
管理官は立ち上がると握手をしてくれた。
「ポナペか・・しかしまた何故ポナペなんだ?」
「ナンマドールという遺跡があります。満潮になると海底に沈んでしまう都市です」
「ほう!そりゃビックリだ」

1975年。ポナペ島は、アメリカが太平洋諸島信託統治領Trust Territory of the Pacific Islandsとして管理していた。まだ「戦後」が残ったままだったのだ。しかしその統治は極めて緩やかで、島は自立と自治が普通に認められていた。アメリカは島のインフラ整備や経済発展の支援をするだけで、政治や治安維持には積極的に関わらなかったのである。
この姿勢はミクロネシアの地域全体に及んでいて、アメリカの管理下の許で「星と風と海流の民たち」は貧しくも自由な気風を保っていた。
信託統治が終了したのは1986年である。ミクロネシア地域はミクロネシア連邦として独立するが、アメリカとはそのままCOFAコンパクト・オブ・フリー・アソシエーションCompact of Free Associationという条約を結んでいる。同条約は、ミクロネシア連邦は独立国としての地位を確立しながらも、アメリカは引き続きこの地域における防衛責任を担い、経済援助を享受できるという条約である。
ミクロネシアの人々はこの条約の許、米国内に自由に移住できる権利を持っている。ハワイやグアムにミクロネシア人が多い理由はこの条約のためだ。
僕はグアム海軍航空基地からアンダーセン空軍基地へ同乗させてくれた軍用トラック兵隊の顔を思い出した。
彼はミクロネシアの人だったのかもしれない。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました