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石油の話#33/狭軌と広軌を見つめながら感じた不安
ポーランドからリトアニアへ向かう国鉄は、国境を越えるとモカヴァ(Mockava)という駅に停まります。小さなゼリオンカ村にあるこの駅は、冬になると木枯らしにさらされた野原が広がる片田舎の駅です。今はしらない。僕が知っているは30年も前です。まだ査証免除措置がなかったころの話です。
リトアニアがEUに加盟したのは2004年、正式にシェンゲン圏に入ったのは2007年です。そして、バルト三国が国際連合に加盟したのは1991年、ロシア撤退が完了したのは1993年。その彼らが遺した鉄屑のような工場の再生に、僕らは粛々と赴いていました。
・・秋の遅い時期です。
僕が見たモカヴァ駅は、周囲が枯れ草に覆われ強風に揺れていました。どこまでも続く広い空の下、荒涼とした寂しさが漂っていました。その中を人々は黙々と列車を乗り換えていきます。どの姿も孤独でした。本当に我々の前に協働の道は開かれるのか?そう思いながら「ガラスの壁」を越えていく人々の背中です。僕らもまた、その中の一群でした。
乗務員の指示で列車を降りると、僕らはプラットフォームに立ちました。朝早かったと記憶しています。霜に覆われた木製の枕木が軋みを上げ、吐く息は白く、冬の冷たい空気が僕の頬を刺しました。そして他の乗客がゆっくりと進む後をついていくと、乗り換え先の広軌列車が見えてきました。
旧式の車両でした。
それは、向こうの線路に静かに佇み、鈍い光を受けてぼんやりと輝いていました。僕は立ち止まり、老いた犀のようなその車両を見つめました。
ポーランド側の狭軌鉄道は標準軌(1435mm)で、西欧諸国と同じ規格で整備されてきました。しかし、国境を越えたリトアニアの鉄道は広軌(1520mm)。旧ソ連圏の鉄道網に属するものでした。広軌鉄道は帝政ロシア時代に軍事戦略上の理由で導入され、ソビエト連邦によって継承されました。狭軌から広軌への乗り換え。それは単なる物理的な作業ではなく、歴史の隔たりを象徴するものでした。
重苦しく佇むロシア製列車の先に目をやると、広軌の鉄路の向こうも同じく枯れ草で覆われた荒野が広がっています。僕は、傍に歩み寄り、鉄路を見つめました。その幅の広さに驚きました。足元の線路を見下ろすと、鉄のレールが冷たく光り、僕の影が黒く映し出されていました。
分断された景色は、そこからまた同じように始まります。風景は変わりません。広軌になって何が変わるのでしょうか。そもそも規格を変えてまでロシア皇帝は何を守ろうとしたのでしょうか。モカヴァの茫々たる荒野を見つめながら、そんなことを考えました。
一瞬、風が強く吹き抜けました。僕のCW35Pの胸元に千切れた枯れ草が叩きつけられました。その音に混じって、聞き慣れない列車の警笛が響きました。警笛までが、西欧と東欧では違う。そう思いました
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