悠久のローヌ河を見つめて17/アンシャンレジーム
1700年半ば、フランス領土の10%は教会が保有していた。員数で云うならば10万人。フランス全人口3000万人中03.%である。
アンシャンレジームAncien régime(旧体制)では、彼らに納税義務は無かった。土地の所有者として1/10税を借主から徴収し、さまざまな書類(戸籍/洗礼/結婚/埋葬/免罪符等々)の発行から膨大な利益を得ていた。確かに技術革新/交易の発展によって、商人/農家/職人たちの間にも豊かな者は現れていたが、彼らの利益は全て1/4税乃至1/8税の対象であり、これがかなりの不公平感を生んでいた。
一方、王家/貴族たちは財政的に疲弊していた。彼らの収入源は「狩猟(戦争)」である。その「狩猟の時代」が終焉していた。十字軍と云う東方への略奪も終わっていた。そのため王家/貴族たちは、租税以外に目ぼしい収入源が無くなっていたのだ。
葡萄/ワインという視点から観ると・・実は聖職たちは1700年代から、かなりの面積の畑を手放し始めるようになっていた。教会ビジネスが、手間のかかる農業より、遥かに利益が簡単に得られるビジネス(書類の発行)へ移行していたからだ。そしてその畑は、貴族たちと一部の豪商たちが挙って買いとっていた。教会で管理された畑から作られるワインは優秀なモノが多かったからだ。商人たちはそれを主要都市へ運び売買していた。
貴族たちにはそれが出来ない。それなので自宅の通りに面した所に販売店を設けた。もちろん商人たちのワインには税がかかる。しかし貴族たちが「過剰生産分を自宅前で売る」行為はワインは無税だった。この「過剰生産分」を邸宅前で"領民"に売ると云う行為そのものは古い。(La vigne dans I'Antiquite/Billiaed)伝統的に安価で良質なモノを領民に「施す」という発想の延長線で行われてきた習慣だ。
なので貴族たちは、堂々とこれを大がかりに"疑似的な商売"としてやることは、彼らのプライドを全く傷つけない。その上大きな収入源になるので、貴族たちは大がかりにこれを行った。
となれば、財政困難になっていた王としてはこれに課税したい。そのため1759年9月、王勅令によって、こうした貴族が持っていたワイン販売についての免税特権を廃止してしまった。
これがきっかけで多くの免税特権廃止令が続けざまに色々と出されたが、抜本的な解決にはならない。フランスの国家財政は、既に崩壊寸前まで至っていたのである。
国王ルイ16世は、教会と貴族の持つこれら免税特権の大半を廃止するために1789年5月、3身分(聖職者326人、貴族330人、平民661人)の代表計1,318人をヴェルサイユに召集し「全国三部会」を開催した。しかし貴族たちの反対は強硬で、これに業を煮やした平民(豪商)たちが「我らこそがフランス国民の代表である」と反旗を翻し、ここにフランス革命の火の手が上がった。
1989年8月4日、教会/貴族の特権が廃止。つづいて8月26日、1/10教会税が廃止。憲法前文として、ラファイエットらの起草による「人間と市民の権利の宣言」(フランス人権宣言)が採択された。
かくして血と粛清の嵐が、フランス全土を包んだ。