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北京逍遥#04/北京798区

北京滞在中に紫禁城は10回ほど訪ねた。通訳兼ガイド君が呆れかえるほど細部まで見て歩いた。
その話を聴講生にしたらしい。懇意にしていた一人に「北京798区」に行かれましたか? と聞かれた。
僕はそのとき「北京798区」を知らなかった。
「街の北部にある工場地帯なんです。いまは廃墟になっていますが、ここに北京の若いアーティストたちがアトリエを持つようになりまして、北京で今一番最先端の場所です」
通訳兼ガイド君の顔を見ると、困ったようにしている。あまり公式には歓迎されていないようだ。
聴講生が続けた。
「自然発生的にできたアーティストのコロニーなんです。一時は政府から締め出しを食らったときもありましたが、いまは放置状態になりまして、猛烈な勢いで進化しています。もしよろしければ、我々の友人たちがアトリエを出していますからご案内します」
翌週のコマがない時に、何人かの聴講生と「北京798区」を訪ねた。

たしかに工場跡だった。旧い建物と引き込み用線路、使われていた機関車が放置されていた。中に入ると、大小幾つものアトリエが有った。展示空間もあった。
総じて・・アートというよりアイデアに近い・作品が無数に並んでいた。
「ヨーロッパの画商たちのオフィスも出来始めました。活発に取引がされています」聴講生の一人が誇らしげに言った。
「ついこのあいだ"ユーレンス現代芸術センター"という組織が立ち上がりまして、それから大きく変わり始めたんです。オーナーのガイ・ユーレンス男爵はベルギー人の画商です。もしよろしければご紹介します。父の友人なんです」と別の聴講生が言った。


調べてみると「798廠」は東ドイツ・デッサウデザイン学院出身の建築家によって設計された工場だった。1957年開業である。まだスターリンと毛沢東が蜜月時代の産物である。当時毛沢東とスターリンは156 の「共同工場プロジェクト」を中国に起こしている。スターリンの後継者だったマレンコフとも蜜月関係は続き、798廠はその一つとして建築されたものだった。
往時精密機械についてのノウハウは東ドイツが突出していた。伝統的に機械技術はドイツのお家芸だったのだ。毛沢東は1950年に視察団を東ドイツへ送り込んでいる。それをベースに1952年から始まったのが「プロジェクト#157」である。
「プロジェクト#157」は東ドイツ主導で行われた。デザインはアンシンメトリーで曲線が多く、前衛的だった。デッサウデザイン学院らしい際立った先進性が十分に盛り込まれていたのだ。工事は1954年から始まり、当初の技術者は全て東ドイツからの出向者だった。100名あまりいたという。生産開始は1957年から。電子機器の工場としては中国国内唯一のものだった。ジ当時は「ョイント ファクトリー#718」と呼ばれていた。
そのころマレンコフは放逐されフルシチョフにソ連は代替わりしていた。毛沢東の老耄が始まっていた。文化大革命(1965)への伏線が始まったころである。

「798廠」は巨大だ。最盛期には複合型軍需工場として20,000人の労働者が駐在し、廠内には住居だけではなく、店舗/劇場/運動設備/図書館/病院/学校などが有った。・・しかし鄧小平によって、欧米に門戸が開かれると、「798廠」は急速に凋落した。所詮は共産主義の上に成り立った施設である。自由競争には耐えられない。20年ほどかけて大半の生産ラインは止まり、居住施設も廃墟になっていった。

まさに戦後の米国の軍需産業として成立した日本の加工貿易産業が、いまこの瞬間に辿っている道でもある。

こうした廃墟に、1990年代より若い芸術家たちか不法に住み始めたのである。おおきなきっかけになったのは中央美術学院(CAFA)が1995年にスタジオを開設したことだった。
放棄された軍事施設が、若者たちによって占有され、アートの町として花開いたのである。
2007年、建築家ジャン=ミシェル・ウィルモットと馬清運が全面改装し、1,800平方メートルの大ホールと大小の展示室、150席のシアター形式の講堂、児童教育センターなどを含む全体で8,000平方メートルの施設として、何回かの強制立ち退きを挟みながらも「798廠」はアート ディストリクトとして公認されるようになったのである。

何時間か懸けて「北京798区」を見て歩いたあと、聴講生と共に大きなカフェに入った。まるでアメリカのショッピングモールにでもありそうなカフェだった。コーヒーはまともだった。周囲をみると金髪の人が多かった。
「みなさん、バイヤーですよ。定期的に来られている。798廠は今や中国のアートの発信センターです」聴講生が笑いながら言った。
・・たしかに・・この自由な気風は、おそらく上海でも香港でも成立しないだろう。北京だから可能な「自由」なんだろうな、そう思った。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました