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葛西城東まぼろし散歩#21/江戸より古い下総08

「早くから関東は・・常陸/房総は馬牧が定着した。まあ、もっとも馬牧と云っても野放しでな。野生馬みたいにして飼ったんだ。その方法は江戸時代に入ってもほとんど変わらなかった。香取の海が後退した後も土地はむき出しのローム層に雑木林ばかりの地だったからな、やせた土地は水田には向かなかったから、馬牧が使い道としては順当だったのかもしれない」
「馬小屋で飼ってたわけじゃないの?」
「うん。馬は野放しだった。ある程度の大きさになると捕まえてそれを訓練したらしい。だから村や畑に侵入して耕作物などを荒らしたらしいよ。 雑木林だったから鹿や猪、兎なんかも一杯いて鳥獣被害が大きかったという記録が残ってる。他の鳥獣は狩れたけど、馬はダメだったからね、地元の村人は、村境に野馬除土手や野馬堀を作ったそうだ。」
「ふうん・・でも、馬牧場なんて今ないわよね?」
「明治に入って大半が消えた。馬そのものの需要が激減したからな。それでも江戸時代まではちゃんとあったんだよ。
松戸に小金/小金原という街が有る。ここが馬牧の地として有名だ。平安時代から江戸時代まで馬牧に励んだ地だ。初出は書記で文武天皇四年(700)の条に「諸国に令して牧地を定め牛馬を放つ」とあるからこれだ。延喜式(927)では、下総国に小金牧の前身である高津・大結・本島・長州の馬牧が官牧と定められたとある。」
「松戸の小金原って市役所のあるところよね。ずいぶん昔に行ったことが有るわ。」
「アレじゃない。あれは昭和40年半ば以降に松戸再開発で栗ヶ沢や根木内の住宅地造成されたときに付けられた名前だ。ホントの小金原はもう少し西にあった。場所的には、北は野田市中里あたりから南は千葉市花見川区柏井町あたりまで、大きさはと四十里というから160㎢程度だ」
「大きいのか小さいのか、よくわからない、」
「直線距離で1里4kmくらいだ。近くに佐倉牧というのが有ってな、合わせて下総牧と呼ばれたらしい。いまはない。小金牧は江戸時代の後期になると高田台牧・上野牧・中野牧・下野牧・印西牧の5つの牧が有ったんだ。このうち中野牧は一番有名でね、今の柏市・松戸市・鎌ケ谷市・白井市・船橋市域あたりまであった。でもすべて明治政府から禁止命令が出されてなくなった。残滓は新京成電鉄北初富駅の傍にある史跡だけだな」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました