見出し画像

夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩7-1-6/シャンパニュ古代都市トロアヘの旅

https://www.youtube.com/watch?v=6EhE240Pzsg

一時間ほど道具と職人博物館を見学した後、再度トリニティ通りへ出て、すぐ前のグルニエ路地Rue des Greniersを抜けてテュレンヌ通りRue Turenneを挟んで、もうひとつ路地マルシェ・オー・ノアRue du Marché aux Noixを抜けた。
「なんか1mもない迷路の中を歩いてばかりね。中世の中に飲み込まれそうな感じ」嫁さんが言った。
「ん。これがトロアの醍醐味だ」
「あんまりいらない醍醐味だけど・・」
「出たところにヴォールイザン美術館Musée de Vauluisant : Musée de la Bonneterie(4 Rue Vauluisant, 10000 Troyes)がある。ここはヴォールイザン美術館と靴下美術館を併設している。」
https://www.musees-troyes.com/
「靴下?」
「トロアは織物の街だからな。ラコステは此処が発祥だ」
「え~ラコステってそんなに老舗なの?!」
「いやいやラコステは1933年。20世紀になって創立した会社だ。トロアのニットの歴史はもっと古い」
30分ほど、ぐるりと終わって美術館を出た。
「これ見に来たの?」
「いや、この建物を見に来た・・と言っても良いかな」
「なるほど」
「このままホテルまで歩いて帰ろう。くたびれたらどっかで休憩しよう」
僕らはジャン・ジョレス広場Pl. Jean Jaurèsまで歩いて、そのままホテルへ向かって散策した。
「でも本当に古いまま大事に町を守っている処なのね」
「ん。だからといって観光都市化していない。普通に生活の町だ。それが好ましいね」
「ここに、あなたの言ってるシャンパニューの大市があったの?」
「ん。当時の名前が今でもそのまま残ってる。すごいね」
「でも・・なせそんな大きな市場が此処に出来たの?」
「北西ヨーロッパの交易の歴史は長いんだ。紀元前からだ。青銅器時代からだ。青銅器って材料として錫が要るんだよ。ローマ人は錫をガリアやイベリア半島で手に入れていたんだ。ワインと交換でね。最初は近在からだったけど、どんどんと北へ広がって英国やノルマンディ、そしてもっと北まで交易の幅を広げていたんだ・・実はね、相当早くから北ヨーロッパと地中海都市は、大西洋岸航路とローヌ川などの水路で強く結びついていたのさ。
当初は錫だったけどね。これが時代と共に他のモノも交易の対象になっていった。フランドルの毛織物、中央フランスのワイン、イタリアの絹織物、ドイツの亜麻布、東方からの香辛料などが取り引きされた。
大西洋岸航路からは、北イタリアの城塞都市の商人たちのガレー船。北ヨーロッパは北海/ブリテン島/バルト海のケルト商人たちが商いをした。
陸路は、ローヌ川などを利用した水路。あるいはローマ街道が、北イタリアの城塞都市の商人たちと内陸部のガリア人を繋いだんだ」
「その二つのルートがシャンパニュー大市に集結したの?」
「ん。最終的にはな。でも最初は違った。当初シャンパニューで市場を作った連中は陸路で来た商人が中心だった。あとはセーヌ川を使って西から入ってくる商人たちだけだった」
「北海/ブリテン島/バルト海からの商人は来なかったの?」
「北海沿岸側、属州ガリア・ベルギガGallia Belgicaは、ガリア人の血(ゲルマン人という説もある)を継ぐブロア家が握っていたんだよ。西ローマ崩壊後も実権は彼らが握っていた。ローマ崩壊後、ブロア家はブリテン島から羊毛を強いれて織物生産地フランドルとして大きく育ったんだ。
実はね。シャンパニューも確かに属州ガリア・ベルギガ一部だった。でも600年代にはクローヴィス一族に席巻されたからね、ブロア家との隔離感はかなりはっきりとあったんだろうな。
このフランドルとシャンパニューを繋げたのがシャンパーニュー伯アンリ1世だ。
彼が1186年に娘マリーとフランドル伯ボードゥアンを結婚させたんだよ。この結婚でのフランドルとシャンパニューは商圏として一体化したんだ。
そしてそれがシャンパニューの大市の繁栄につながっていく」
「政略結婚だったわけね」
「政略結婚は、貴族の産業だからね。「結婚すると離婚は出来ない」という教会の仕掛けは、結婚に深い繋がりを持たせた。政略結婚が威力を持つのは教会のおかげだな」
「あら、皮肉っぽいわね」
「ははは、このシャンパニュー大市を、より安定より繫栄させるために、シャンパニュー公ティボー4世は市場への参加を許可制にした。そのことでクオリティを保とうとした。そして警察権・裁判権をもった。・・そしてね、同時にね、とんでもないことを仕掛けたんだ。シャンパニュー大市内で使用できる通貨を起したんだよ。
これが流通を急加速させた。つまり金融を構築することで、立替/借り入れ/融資が出来るようなったわけだ。もちろん、共通通貨というのは彼の独走ではない。ローマ以前からあったが、これを見事に復活させたわけだ」
「恐ろしいほどの天才なのね。シャンパニュー公ティボー4世って」
ベルギーの歴史家アンリ=ピレンヌは『中世ヨーロッパ経済史』のなかで『これはまさに"商業ルネサンス"だ』と言っている。ほんとうにそうだ」
帰り道はモレ通りRue Moléとシャンポー通りRue Champeauxを散策しながらアグリッパ橋Pont de la Vía Agrippaで運河を渡ってからホテルへ戻った。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました