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星と風と海流の民#40/グアムのチョモロ#02

ラッテ・ヘリテージ・パークLatte Heritage Park(FQC2+WPQ, W O'Brien Dr, Hagåtña, 96910)は、スペイン広場と云うかなり広大な公園の傍らにある。割と緑多くゆったりとした斜面の中にラッテ・ストーンが並んでいた。嫁さんは初めてなので、相当驚いたようだ。
「ここに大きな神殿か王様の屋敷があったの?」
「いや、ちがう。公園が出来た時に、グアム中南部フェナ地区メポ村にあったラッテスターンを見繕って此処へもってきて並べたものだ」
「あらま。じゃ先ず公園が有って、そこにチャモロ人の遺跡を持ってきて並べただけなの?」
「まあ、そうだ。・・実はその頃は公園としても"らしい形"はしてなかった。持ってきただけ・という感だけだった」
「もの置き場・・だったの?」
「ん。先の大戦のとき、グアムは米軍の兵站補給地として機能してたからな、フェナには海軍弾薬庫173弾薬庫を作ったんだ。1944年夏に日本からこの島を取り返した米軍は、急増で兵站用倉庫を増やしたんだよ。その建設時に、フェナのラッテストーンは破壊されてしまうとこだった。それを防いだのがローラ・モード・トンプソンLaura Maud Thompsonという学者で、彼女の指示でハガニア広場へラッテストーンを移動したんだ」
「ローラ・モード・トンプソン?女性なの?」
「ん。考古学者だ。ハワイ出身でね。UCバークレーの人類学者Alfred Louis Kroeber博士の弟子だ。 "Kroeber's girls,"の一人だよ


「クローバーズ・ガール?」
「クローバー博士の6人の女性人類学者のことだ。 Isabelle Kelley/Cora Du Bois/Dorothy Demetracapoulou/Margaret Lantis/Katharine Luomalaの名前が挙げられる。
前世紀初めにフィールドワークで世界中を駆けまくった人たちだ。そのうち、そのドラマチックな夏道の話をしよう」
「はいはい。いつものように、そのうちね・・」
「そのパガニア公園がラッテ・ヘリテージ・パークLatte Heritage Parkになった。すぐ傍に日本がグアムを占領したときに作られた要塞洞窟があるんだ。今でもね。米軍はこの島を再奪取したときに、メモリアルとして残したんだろうな。そこにフェナのラッテストーンも移した、というわけさ。それがなし崩し的に公園になった。ちなみに、ここは1991年、ハガニア崖線要塞として国家歴史登録財に登録されてる。僕がグアムに再三通っていた1970年初めのころでも、此処はただの放置された公園だったよ」
僕らは森の中を歩いて、旧日本軍洞窟へ出た。

鉄の柵で囲まれていて、中には入れない。
「グアムが日本に占領されたのは1941年12月10日だ。真珠湾攻撃の2日後だ。そのとき島は、大宮島と改称された。それで日本海軍の管轄下に入れられたんだよ。ここを南太平洋での最重要拠点とすべくね。それでリキ入れた日本化を試みたんだけどな、住民の大半がチャモロとフィリピンから流れてきた人々だったから、それを日本式に教育するには劣悪だった。基礎素養という壁があるからな。残念ながらね。それでも日本人化教育は、南洋庁が中心で相当の力を入れたが、うまくいかなかった。そして1944年7月21日だ。米軍がオロテ半島に上陸した。戦争は8月10日まで続いて、日本軍は補給も応援も受けられないまま実質全滅した。大宮島への南洋庁の努力もすべて藻屑となって消えたんだ。4年間の努力は消えた」
僕は話しながらドライバーのRamon氏の顔を見た。日本のフィリピン占領について、今でも怨みを持っている人はいるからね。それでそれとなく彼を見た。


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました