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ぎんざものがたり/Previously on Chizuko's way of life#01

*これまでのお話から
拙書「小説特殊慰安施設協会」から引用。

1946年2月2日。GHQからの指令で正式な廃業命令が警察から通達されると、全国の米兵向け慰安施設は次々と閉鎖されていった。R.A.A.特殊慰安施設協会も準備を進めた。そして3月27日、R.A.A.は全ての慰安施設全店を閉鎖するという通達を全社に出した。その通達は、まったく根耳に水だったので娼妓全員が動揺した。
閉鎖通達は、朝一番に書面で全店舗に向けて出され、内容は即日その朝で閉店というものだった。あらかじめ店に伝えると、不穏な動きが出るかもしれないという高松の思惑から、そんな無茶な閉店策を取ったのだ。 その閉鎖を伝える席で、高松慰安部部長は、娼妓(彼は社員と呼んでいる)たちに以下のような演説をしている。場所は大森海岸の小町園である。

その演説を、橋本嘉男が昭和31年に出した「百億円の売春市場」から引用する。
「マッカーサー指令で、今日限りただいますぐ、R.A.A.関係の慰安所は一切オフリミットになったから、諸君は適当に職を探してもらいたい。今日まで言葉につくせぬ苦労をしていただいたことは、ほんとうに責任者として心から深く感謝する。諸君の力と犠牲で、おおく一般婦女子の純血がまもられたことは、歴史的な事実であって、こうした諸君のちのにじむような努力は、必ずや後世の人たちによって報いられるに違いない。
ただ残念なことは、そうした諸君のお骨折りに対して、R.A.A.として、何のお礼もできないことである。
ご承知のように協会は、営利事業ではなく国策的な事業であった関係上、ほとんど利潤はあがっていない。ひとつの例をとってもわかるように、諸君の玉台からは何のピンハネもしていない。膨大な設備、人件費がかかっている。どうかせめてお国のために尽くしたという、ただ一つの誇りを土産とし、慰めとして、お別れしていただきたい。」

その通達と演説は、娼妓たちにとって8月15日の、あの日の放送のように突然降ってきたものだった。彼女たちは、先ず意味が分からなかった。そして次に途方に暮れた。未来の全てが、その瞬間に閉ざされたのだ。
R.A.A.は、その日の夕方までに娼妓はすべて自分の荷物を持って慰安所を出るようにと通達した。そして、その日までの給与は全て店の帳場で、現金で支払われた。それは慰労金が相当額乗せられて、かなり分厚い封筒が一人一人に手渡された。娼妓たちは、本部から事務員に「はい、ご苦労さん。ご苦労さん」と封筒を渡されながら、そのまま慰安所を追い出された。
店の外には、事務員たちが立てた「CLOUSED」の看板とQHWが立てた「OFFLIMITS」の看板が有った。その前に、ぼんやりと立っている兵士たちが何人かタムロしていた。娼妓たちは悪態をつきながら、その兵士たちの間を抜けた。兵士たちが話しかけても娼妓たちは誰も返事をしなかった。

ところで。その娼妓たちが給金を受け取るとき、知らなかったことがある。彼女たちが受け取った給金の大半は旧円だったのだ。R.A.A.は、裏金として用意していた帳簿外の金を給金として、彼女たちに渡したのだ。
前月2月16日、日本は貨幣を新円に切り替えていた。娼妓たちが受け取った旧円は、すべて自分たちの手で新円に換えなければならない。しかし旧円を新円に換えるには、銀行で自分の身分と住所を証明するものが必要だった。慰安所を保々の体で追い出された娼妓たちに、そんなものは無い。こうしてR.A.A.を追い出された娼妓たちは、旧札を握ったまま銀行の前で、再度途方に暮れることになるのだが、そのときは誰も気が付かなかった。

この3月27日の慰安所全店閉鎖が、それほど大きな混乱にならなかったのは、3月25日の段階でR.A.A.の全慰安所がOFFLIMITSになっていたからだ。 実は2月に入ってから、OFFLIMITSを食らった慰安所の再開が極端に遅くなっていた。11月の終わりに荻窪に有った六階建ての病院を買って、これをR.A.A.病院として娼妓の治療にあたっていたのだが、2月に入るとOFFLIMITSを食らった慰安所で発見された罹患者は、全員ここの病院で待機させられた。
「病気もちじゃない社員が少ない。だから再開できないので、しばらく待機してくれ」と、高松は慰安部社員に説明をさせていた。
それもあって慰安部社員の間にも「慰安部閉鎖?社員は解雇?」という不安が走っていた。高松はそれを払拭するように、自分が慰安部長とキャバレー部長を兼任する旨、社内に公示した。
「林君が辞職しとるからね。これ以上、現場の混乱を放置できんので、俺が兼任することにする。なのでいずれは、二つの部を統合するだろうから、諸君はそのつもりでいてくれ。」
高松は、キャバレー部/慰安部の社員全員を集めた席で、そう言った。ふたつの部の統合・・それが何を意味するのか、全員が察した。
「あ。それと。萬田」とその席で高松は千鶴子を指した。
「はい。」
全員が息をのんだ。
「お前は、本日から昼間の仕事はしなくていい。夜のダンサーだけに専念してくれ。お前がしてる翻訳の仕事は、そろそろないからな。もう来なくていい。」
「・・はい。」千鶴子は気丈に応えた

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました