ジブリールダイナーのナオミ#03
「すごく馴れ馴れしく話しかけてる人が出て来たんです。他のウエイトレスがあの人ナオミのことが好きなのよ、と言って笑ったけど、そんな風には思わなかったんです。だから普通に接客していたんですけど、そのうち好きだとかデートしようと言うようになって、仲間のウエイトレスに断るならきちんと断らないとコジれるわよって言われたんだけど、そのままにしちゃいました。そしたらついには仕事が終わるのを店の前で待ち伏せされたんです。びっくりしました。
そのとき、決心してはっきり付き合えないと言いました。どうして!と言うから・・私、男なのと言ったんです。」
「勇気がいったね」僕が言うとナオミが深く頷いた。
「はい、でも信じないんです。それで、ふざけた断り方するなよ!って怒り始めたんです。だから・・ビルの影で・・スカートを・・そしたらよけい真っ赤になって怒って・・騙しやがって!!って殴りかかる勢いになって」
「大丈夫だったの?」
「はい、なんとか逃げるように帰りました。でも口惜しくて悔しくて、帰ってから一晩中寝られませんでした。」
「たいへんだったね」
「それで翌日、店に出たら。。オーナーに呼び出されました。昼間、あの男が怒鳴り込んできたらしいんです。あのfooker俺を騙しやがった!って。オーナーは、案の定だ!と言ってわけも聞かず私を𠮟りつけたんです。私、そのまま店を飛び出して帰宅しました。大泣きしながら帰宅したら母がオロオロして右往左往してました。私、もう二度と行かない!と母に泣きながらいいました」
「・・そう、そんなに嫌な思いをしたんだ。でもお母さんもたいへんだったろうね。」
「母はオーナーの処へ行って話を聞いてきたらしいです。それでおずおずと、経緯は他のウェイトレスから聞いてくれたらしいよと私に言いました。でも私、ふん!と言って聞く耳持たなかった。それでそのまま部屋にひと月近く閉じこもったんです。」
「つらかったね」
「ええ。このまま死んじゃってもいいと思った。そしたら母がナオミぃって声かけてんです。ナオミぃ仕事に出ておくれ。わたしの稼ぎだけじゃやってけないからお願いだから働きに出ておくれぇって。私、絶対に嫌だ。絶対に行かないって怒鳴りました。だって、やってけないわけないんです。福祉から色々出てたし。でも母が珍しく何度もお願いだよぉお願いだよぉって言うんです。」
僕は黙って話を聞きながら頷きました。お母さんの願いが判る・・
「私がそれでも嫌だと言い続けたら、突然がばっと這い蹲ったんです。そして床に頭をぶつけながらボビーさんにも、お願いしてきたんだよぉ、来てもいいって言ってもらったんだよぉ。だからお願いだよぉお願いだよぉと・・」
「土下座?」
「そうなんです。びっくりしました。言葉は知ってたけど・・土下座なんて。」
「ナオミさんはどうしたの?」
「私、鳥肌が立ちました。それで、はっ!と思ったんです。あの偏屈なオーナーが、渋々でも戻っていいと言ったのは・・きっと母がこうやって、こんな風に、あいつにも這い蹲って土下座したからだ・・って。そう思ったんです。」
「・・そうだね、きっとそうだね」
「私のために。母が‥私のために・・そう思ったら身震いが止まらなくなって。しゃがみこんで母を抱きながら泣いてしまいました。・・あ、だめ。話してたらまた涙が・・」
そういうとナオミさんが、下を向いてホロホロと泣いた。
僕は何も声がかけられなかった。ナオミさんは、目の前のグラスを取りながら声を殺して泣き続けました。
ジブリールダイナーは14st.の西、ミートマーケットの傍にある。利用者は殆ど肉市場で働く労働者だった。24時間いつでも開いていた。ナオミさんは深夜シフトのままずっと店を守り続けていた。僕があの街を去るまで彼女はいた。