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おわりに・旧き褥に今だ微睡む村々/beaujoLais nOuVEauに秘められたLOVE#23


ボージョレーは南北に細長い地域です。本稿の一番はじめにご紹介したのは、TGVをマコン・ロシェで降りて北部にある村を訪ねるルートでした。もう一つのルートとして考えられるのはリヨンから北上するというものです。

もしボージョレーの小さな旧い村に何泊か過ごされる予定でしたら、前者がお薦めですが、とりあえず簡単に現地ツアーで訪ねてみたいとお考えでしたら、リヨンからの方が良いと思います。リヨンは大きな街ですからね、ここから催行されているツアーが多々あります。

そんなツアーを探すならリヨン観光センターが便利です。ベルクール広場にあります。 ペハッシュ駅から歩くなら、ヴィクトル・ユーゴ通りをまっすぐ10分程度行くと辿り着きます。地下鉄ならmétro A でペハッシュ駅から2駅目です。判りやすい。

僕はこの街へ出かけたときは、必ず此処に寄ります。最新の街のニュースも地図も全てここに揃っているからです。もちろん近郊の村々へのツアーも、情報はこのリヨン観光センターに集まっています。
http://www.jp.lyon-france.com/

半日ツアーも全日ツアーも、ほぼ毎日催行されていますから、朝一番9時に出かけて、カウンターで申し込めばOKです。コースは、何れも国道A6を小一時間ほど北上し、ブルルィ山の丘陵に広がる畑と村々を訪ねるというものです。


コート・ド・ブルルィの村々は古くから城塞都市リヨンのワインと食材を支えるところでした。村人は陸路で馬車を使って半日かかりで運んでいた。前述しましたが、城塞都市リヨンで何かを売ろうとすると入城税20%が必要でした。そのためボージョレーの農家は、近在の村で商売をしている人々に買ってもらっていたのです。人々は夕方になると城塞を出て、ローヌ川やソーヌ川の向こうに軒を並べていた「税金のかかっていない」居酒屋や飯屋へ出かけていました。そして、しこたま飲み食いをすると千鳥足で城塞の中に戻っていたのです。

今ではそんな周辺も、すべてリヨン市の中へ飲み込まれてしまいましたが、リヨンの街の真ん中を流れる川沿いを歩くと、何となくそんな様子が目に浮かびます。 リヨン観光局で出会えるボージョレーへのツアーは、そんな農夫たちが、馬車でワインやチーズや自家製ハムを、悪路に負げずに汗水流しながら運んだ道を辿るものです。ただいまは高速道路がありますから、あっという間に辿り着いてしまいますが。
ブルルィ山の丘陵に点々とあるコート・ド・ブルルィの村々は1000年の微睡の中に今も在る。訪ねるたびに、いつもそう思ってしまいます。

ボージョレーの戦後は揺籃の時代でした。大きな躍進を遂げる中で、翻弄され、行くべき道が見えなくなることもママあった70年でした。

しかし「揺蕩えども沈まずFluctuat nec mergitur」です。共に生きる人々を信じ、自分が作る商品を信じ、無骨でも稚拙でも自分の道を歩めば、たとえ帆布が裂け、舵も失い、波風に翻弄されても、船は沈まないものです。立ち止まれば、見えてくるものがある。闇夜に疾走すれば、何も見えない。しかし立ち止まれば、周囲の息使いを感じ、その匂いと音と体温を感じる。
僕はボージョレーの旧い小さな村々を訪ねると、いつもそう思ってしまいます。旅は、出会いと気づきに満ちている。


ガメイという多産な葡萄から作られるワインを飲みながら、ぜひこの地の歴史と文化に酔ってください。ガメイから作られるワインは、華麗でもエレガントでもない。でも、とてもフランス的なのです。ゴツゴツした手の温もりを感じるワインです。そしてそんなワインを作る人々も村も、すべて遥か古代から連々と繋がるフランスそのものなんです。

石器を携えて歩いた新人も、ガリアの森を河伝いに進んだケルト人も、陰謀と野望に翻弄され、栄華と凋落に翻弄された王たちも、そしてギロチンも。すべてがワイングラスの彼方に見える。幻視できる。僕はそう思います。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました