ぎんざものがたり1-8/アーニーパイル劇場08
1946年2月25日。朝から不機嫌だったバーガー中尉は、顔を合わせる連中全員を怒鳴り散らしていた。しかし憤懣は納まらなかった。
黄色いサルの芝居に、あれほど喝采が上がるとは・・まさか思いもしなかった。そのうえ、そのなかにUSOから回された男が甲斐甲斐しくあれこれ融通を付けていること・・それが腹立たしくて、あいつのせいだ!と思い出すたびにバーガー中尉は歯ぎしりをした。しかしUSOに手は出せない。色恋の不祥事でもあれば追い出されるのだが・・なにか尻尾を掴めないのかと、その日は朝からそればかりを考えていた。
そのバーガー中尉の不機嫌が彼の注意を反らした。昼直前に訪ねてきた数名の訪問を誰も彼に伝えなかったのだ。その数名の軍人は入り口で副支配人だった久我進の名前を出した。
受付からの連絡で久我進は飛び出すように玄関へ向かった。
記章をみると‥全員が将官級だった。久我進を見ると、その一人が手を上げた。昨年末に結城総支配人の代理で第一生命ビルGHQ本部へ出かけた時に対応してくれた将官だった。・・たしかフェラーズとかいう名前だった。
握手をすると「本日夜、10時から映画室を使用する。」と将官が言った。「来場者は40名程度。映画はこれを掛けてくれたまえ」質問だけをして、命令だけを伝える。そういうタイプの人だ。あの時もそうだった、久我はそう思った。
「映画室の使用ですか?」
うしろに控えていた兵士が、久我の手にフィルムが収められている10インチのアルミ缶を幾つか渡した。傍にいた社員が急いでそれを受け取った。
「重要なフィルムだ。大事に扱ってくれ。上映開始は今夜22時だ。粗々が無いようにしてほしい。事前に我々も20時ごろには来る。用意をして待つように。」それだけ言うと、了解の確認もしないまま兵士たちは立ち去っていった。
久我はその米兵の後姿を追うだけだけになってしまった。最後まで途方に暮れたままだった。
それでもフィルム缶に貼られたシールだけは確認した。「Brief Encounter」と有った。
それが昨年末に公開されたばかりのイギリス映画「逢引き」なことは、久我はずいぶん後まで知らなかった。
「と・とにかく結城総支配人にご報告しなくては」久我はそう思った。
そのとき結城雄次郎は伊藤道郎と共に不機嫌に怒鳴り散らすバーガー中尉に呼び出されていた。つまらないイチャモンを付けているところだった。いつもなら面談が終わるまで待つのだが、焦っていた久我は「大変失礼ですが」と三人に声をかけた。
「何だ?!」バーガー中尉が鋭く誰何した。
「ただいま数名の佐官の方がいらっしゃいまして、本日夜22時から映画館を使うとおっしゃいました。」
「なにぃ?!」バーガー中尉の顔が見る間に赤くなりこめかみに青筋が浮かんだ。
「誰だ!所属は言ったか?」
「いいえ、おっしゃいませんでした。・・でも」
「でもぉ??なんだ?!」バーガー中尉が怒鳴った。
「先日、結城支配人の代行でGHQ本部へ伺った時に対応していただいた方でした。・・たしかフェラーズさんとおっしやったような」
真っ赤な顔をしていたバーガー中尉の顔が一瞬のうちに青ざめた。
「・・フェラーズ・・ボナー・フランク・フェラーズ准将Bonner Frank Fellersか・・」
ボナー・フェラーズ。マッカーサー直属の情報将校である。
「はい。ボナーフェラーズさんという方でした」
バーガー中尉はしばらく凍り付いたままでいた。そして漏らすように言った。
「なぜ、本丸の准将が直々・・一体だれが来るんだ??・・・まさか」
実は、筆者はダグラス・マッカーサーが東京宝塚劇場で、映画やレビューは見なかったのか?という疑問をずっと持っていた。映画鑑賞は、彼の持つ少ない嗜好のひとつだったからだ。
日本占領後、マッカーサーは第一生命ビル6階の旧社長室を執務オフィスとした。いわゆる「マッカーサーの2000日」である。彼は就任中ただ一日も休まなかった。午前10時30分に出庁すると昼まで執務、昼食のために住居としていたアメリカ大使館へ戻るが、午後には第一生命ビルに戻り、そのままだいたい20時まで執務した。そして大使館に戻った。
食事はいつも家族と一緒だった。
数年前、僕はたまたま「アームチェア・ジェネラル誌」に以下のような記事を見つけた。
http://armchairgeneral.com
He was not a particularly social man. His main form of relaxation was watching movies, which he did seven days a week– then dinner around 10:00. One of the “perks” of being an Honor Guard was the fact that the first 35 men to sign the roster could see the movies as well. He sat in an over-stuffed chair in the center of three; his wife Jean to his right; Maj. Story, his pilot to his left. The first thing he did was to light a cigar. We enjoyed going to the movies at the “Big House” as we were able to get first run films. ahead of everyone else.
マッカーサーの唯一の娯楽は、夕食後の夫人と共に楽しむ映画鑑賞だったという証言だ。彼は毎晩、アメリカ大使館構内にある施設で映画を見ていたとある。「ふかふかの座席の中央に座り、右隣は妻のジーン、左隣はストーリー少佐が座った」とある。そしてその時、将官らも観た・・とある。
戦火に塗れなかった鉄筋5階建ての東京宝塚劇場の2階には800名の収容が可能な映画館があることを彼は知らなかったのか?・・第一生命ビルから歩いて5分くらいしか離れていないこの映画館に、マッカーサーは本当に行かなかったのか?
「アームチェア・ジェネラル誌」はさらに続いて、こう書く。
For the thousands of Americans supporting the effort in Tokyo, watching movies were one of the major forms of entertainment. The movie theater was only a five-minute walk away from GHQ – the old Takarazuka Theater in Yurakucho, which was taken over by GHQ and re-purposed as a theater for allied military.
「アームチェア・ジェネラル誌」もGHQが接収した劇場には映画が有ったと書く。しかしマッカーサーが此処に立ち寄ったか否かについては書かれていない。
そして夜10時、大半の観客が引き上げた頃。結城総支配人/久我進/バーガー中尉は、コートなどを着ないまま映画室へ向かう正面玄関横のロビーに並んだ。
夜空は凍てついたまま晴れていた。
数台の車が前に並んだ。真ん中は黒いキャデラックだった。バーガー中尉は日向に干したスリッパのように反り上がっていた。