欄下の機獣を見つめて思うこと
小沢昭一の「ぼくの浅草案内」の中にこんな一文がある
浅草には川がある。
東京にも昔は川が縦横に流れていたが、バカが寄ってたかって埋めつくし、みんな道路にしてしまった。日本中で東京だけだろう川を失ってしまった町は。人間がかつて川のほとりに住みついたのは、生活上の便宜だけではなかったろう。
人間の心が、本来、川を求めているに違いあるまい。人と川を結びつける宗教的な習俗も多いが、「行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず……世の中にある人と栖とまたかくの如し」と、われわれは川に心を反映させ、水の流れを見て……暮してきたのである。
なんという深い哀しみが透ける挽歌だろう。小沢昭一の深い嘆きは、強く僕の心にも突き刺さってくる。
四方を川で囲まれた銀座という街も、川という川を全て失ってきた。銀座を東京砂漠にした罪は重い。「バカが寄ってたかって」ロクにモノを考えないまま弄くり回して付けた傷跡は・・未来永劫残るのだ。
スクラップ&ビルドは街の性(さが)だ。しかし日比谷入り江と江戸前島そしてその周辺の葦原から生まれた「江戸・東京」は、決して水の都であることを諦めなかった。それが「東京らしさ」だった。
同じような美しい運河の町を、僕は幾らでも挙げられる。
ヴェネチア/ストックホルム/サンクトペテルブルク/アムステルダム・・そして世にも美しい蘇州と。
水と、たおやかな"気"の流れに包まれることを、これらの街が捨てることはあるだろうか・・ない。断じてない。
東京は、それをした。
我が町・木挽町は築地川に沿って横に広がった町だ。晴海通りを挟んで上が黒塀の町、下が職人の町だ。町の在りようは違っても、何れも川の流れの"気"に包まれた町だった。いまはない。浚われた川底に首都高速が作られ、そこを機獣が四六時中爆音を巻き散らかして奔る。・・三吉橋から欄下を見つめながら思うのは、僕らが失ったのは「川の流れの"気"」だけではない・・ということだ。。
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました