小説日本国憲法 4-1/新橋新生マーケット
1946年3月7日木曜日大安、新橋東口駅前新生マーケットの地鎮祭・起工式が開かれた。
その数日前から台湾人の出店者と松田組は険悪な状態になっていた。新橋ヤミ市には当時15名の台湾人が露店を出していた。松田組は、原則的に第三国人の出店を認めていなかったが、この15名は早くから露店を出していた連中で、松田組としても認めざるを得なく黙認していた。しかし、新生マーケットとしてデパート化計画を立てると、彼らは100戸分の出店を要求してきた。かなり強引な要求だったことも有り、松田も厳しくこれを拒否した。
交渉に来た15人の華僑たちに、松田義一は怒鳴った。
「あんらにも貸さない。新橋で商売したかったら東口へいけ!」
「独占サセナイヨ、絶対!イタイメミルヨ、アンタ」台湾人たちは捨て台詞を言って出て行った。しかし、そんなやり取りが有っても、台湾人たちは厚顔に出店し続けていた。「金サエ払エバ良イダロ」が彼らの言い分だった。
松田は、無用に事を荒げるつもりはなかったが、この件が有ったので招待客として新橋警察署長へ声をかけた。同時に警備を依頼していた。しかし署長の返事がナマ返事だったので、仕方なくホロヴィッツ大佐を招待客の中に加えた。あの毒虫が来れば、MPも必ずやってくる。そう踏んだのだ。
「ホロヴィッツ大佐もいらっしゃるんだども?パウエル中尉もだが?」尾崎が目を輝かせて言った。
パウエル中尉は、尾崎らが二束三文で買い集めてきた国債を引き取ってくれる窓口になっている兵士だ。パウエルは横浜税関ビルの一室を使っていた。
「このまま、国債の買い取りは続げでぐれるど云うごどだが?」
旧円の交換は先週3月2日で終了していた。
松田は、GHQによる国債交換もその日までだろうと思っていた。それでも・・もしかしてと思った尾崎は、松田に無断で月曜日4日、恐る恐る横浜税関ビルへ国債を持ち込でいる。パウエル中尉は無言それを買い取ってくれた。尾崎は「まだまだ儲げられるぞ」と驚喜した。しかし、その話を松田にしなかった。松田は知らなかった。
「どうなんだべ?GHQはまだ買ってぐれるんだが?」尾崎が言った。
「わからん。あいつらは、あいつらの理屈で動いている。」
「まだまだ国債どご売りだい。金たがぎはいますからな。買ってぐれるだば集めだいだ。」
松田は、その尾崎の言葉には返事をしなかった。
芳子がホロヴィッツ大佐と井出港区長の間に入って通訳しているところを見つめていたのだ。毒虫め、また何か企んでいるのか・・松田はそう思った。
地鎮祭が始まった。神主の前に松田義一、小田部健吉、井出区長、杉田新橋警察署長、ホロヴィッツ大佐が並んだ。その様子を囲んで見ていたのは出店している露天商たちである。中苦々しげな顔をした台湾人たちが混ざっていた。
地鎮祭が終わって振舞い酒になると、ホロヴィッツ大佐はご機嫌で、まるで芳子を秘書のように傅かせて招待客と話していた。しかしその目が笑っていないことに松田はすぐに気が付いた。
「ホロヴィッツ大佐どごおいに紹介してぐれねぁが?」松本に纏わり付いていた尾崎が言った。松本は無視した。
この新生マーケットは2ヵ月あまりで完成している。場所は現在のSL広場とニュー新橋ビル一帯である。総面積は敷地2600 坪。そのうち建物は1998坪。総2階建てだった。1階部分は商店で、1級店と呼ばれる店(8坪)が72軒.2級店(4.5坪)は115軒、3級店(1.5坪)は101軒あった。店舗総数288軒である。二階は貸事務所になっていた。
松田はその二階に事務所を構えた。
1級店は、駅側の表通りに店を構えた。装飾・美術・書籍・薬品などの店舗だった。裏通りには2、3級店を集め、そこに喫茶・飲食・生活雑貨店などを集中させた。通りごとに性格の違いを出すというアイデアは松田義一のものだった。
そして「屋上には東京名物にしようと言ふネオンの大広告塔をたて各商店の看板も総ネオンで店内設備も全部電化し、復興帝都随一の明るい商店街としてデビュー」させたと、彼は新聞取材に応えている。
夢を夢に終わらせなかった。形にした。もちろんまたまだ諸問題は残り、台湾華僑との抗争も続いている。しかしそれでも新生マーケットは落成した。空いている店舗はない。全てが埋まった。客の入りも良い。盛況だ。
2階の事務所の窓際に立って、新橋駅の高架線を見つめながら松田義一は感慨深げだった。半年前、この駅前に経った日。・・忘れもしない台風が吹き荒れていた日。周辺の燃えた家屋の破片が風に飛ばされて、焼け焦げた窓枠・戸・壁板から様々な家具類まで、色々なものが散乱していた。駅前は、東口も西口も駅への類焼を避けるために空き地になっていたので、そうした黒焦げの死体のようなゴミの塊が各所に出来ていた。
「・・あいつらは、此処を俺にどうしろというのか?」改札口を出たところに佇み、雨を避けながら松田はそう思った。大森へ海兵隊と共に上陸し、そのまま松田は新橋へ行った松田が受けていた指令は一言だけである。「新橋にNKVDを拠点を作らせるな」それだけだったのだ。
新橋の高架線の上、走る山手線を見ながら。
「半年だ。」口に出して、松田が言った。
事務机に座って、帳面付けをしていた芳子がすぐ傍に立った。
「そうですね・・半年ですね。」芳子が言った。
「ん。無我夢中の半年だった。失敗は山ほどした。しかし何も後悔するものはなかった。走り続けて走り続けて、ようやく此処まできた。そして思いがけなく君を得た。この半年は私の人生の中で最も幸せな半年だったと、きっと私は生涯思うにちがいない。」
松田義一は、芳子の前では「俺」とは言わなかった。「私」と言っていた。その使い分けに芳子は松田の真摯さを感じていた。
「・・あと半年。・・いや一年後も、私はこの窓辺に立っていたい。」松田は言った。
芳子は、その松田の危惧の重さを知っていた。
実は落成式の日、MPの警護は付かなかったのだ。
ひと月ほど前に、尾崎敬介が松田に内緒で相変わらず国債を横浜税関ビルへ持ち込んでいたことが発覚したのだ。松田は激怒した。尾崎は言った。
「まだまだ新生マーケットはじぇんこがががります」尾崎は、無断で換金していたことは謝らなかった。
松田はすぐさま、ホロヴィッツ大佐に電話をした。なぜ尾崎の独走を俺の耳に入れてくれなかったのか!?松田は怒った。以降、大佐との間の繋がりは切れた。
明治生命会館のG2とは、既に完全に切れていた。
そのことを嗅ぎつけた台湾華僑が、落成式を襲ったのだ。愛宕山警察の警備は有ったのだが、台湾人たちは傍若無人に入り込んできた。それを何とか松田組の人間が水際で防いだのだが、両方にかなりの怪我人が出ていた。その怪我人が出たことで、松田は警察の呼び出しを食らっている。その席に署長は来なかった。
「・・これから半年は、大きなヤマだ。」松田は言った。
芳子は黙ったまだった。松田の傍らに立って、彼と共に窓の外の新橋高架線を見つめた。
新生マーケットは、もともと不法占拠だった場所に建てられている。それが合法のものとして東京都計画局から認可が下りるには、条件として二階建て木造である事が付けられていた。つまり何時でも出て行ける形姿であることを当局は望んだのだ。だとしても、それが曲りなりとも井出区長が代表を努める「新橋商事」と、松本義一と小田部健吉が代表を務める「合資新生社」の所有物となるのには、裏でかなりの力仕事が有ったに違いない。おそらくかなり強くGHQからの内々の圧力が有ったのだろう。それが無くなれば・・今後とでうなるのか・・松田の危惧はそこに有った。