蒋経国という生き方#05/背水の陣
「1949年4月。蒋経国は家族を台湾へ避難させた。もしそのまま敗戦が続けば、彼は家族を国外へ逃すことも辞さなかった違いない。台湾へのアナグマ戦術は、背水の陣なことを熟知していたからね。彼は父よりも醒めた目で勝敗の行方を見ていたと僕は思うよ。万にひとつも起死回生の可能性はなかった。」
「いざとなったら・・子供たちと奥さんだけは国外逃亡させるつもり?」
「ん。台湾からだったら可能だ。本土からは難しい。もちろん記録は残っていない。しかし蒋経国の性格から見て、おそらく間違いなく彼はそう考えていたと僕は思う。」
「自分は父と共に殉じたとしても?」
「ん。大陸で国民政府はひたすら敗走を続けた。年が明けた。50年春にはもう殆ど本土における支配地を国民政府は失っていた。蒋介石が重慶から撤収したのは11月30日。拠点を成都に移したが、ここも12月10日に陥落。蒋介石/蒋経国は同日台湾へ移った。その後を追って中国共産党は台湾島を攻撃した。国民政府は風前の灯だった。」
頼みはアメリカ軍の介在だった。
しかし。1950年1月にトルーマンは台湾対共戦線への不介入方針を発表していた。中国共産党とその後ろに構えるソビエト連邦とのなし崩し的な交戦を嫌う・・というのが公式な姿勢だったが、本音は次期大統領選で政敵となるマッカーサーへの牽制だった。これ以上マッカーサーをヒーローにさせるつもりはなかったのだ。
マッカーサーは半ば独断で、蒋介石軍の台湾撤収を援助していた。トルーマンはこれが不快だった。熱心にアメリカへ使者を送る蒋介石への態度が冷淡だったのは、そのせいだ。
そして海南島、舟山諸島が失陥した。もう緩衝帯はない。台湾島への侵攻は防げない。島内決戦は必至だった。
「蒋介石は全軍に共に玉砕せよと命令した。」
「支配者はどこの国もみんな身勝手ね・・兵隊さんにだって親も子もあるでしょうに」
「ところがだな。とんでもないことが起きたんだ。」
「なに?・・なに?」
「そのころ朝鮮半島北側に英雄金日成を名乗る若者が現れた。ソビエト軍で大尉だった朝鮮系ロシア人だ。彼が唐突に南進し始めたんだ。1950年6月25日だ。朝鮮戦争の勃発だ。その背後にスターリンが居ることは明白だ。その意味では中国共産党の後ろ盾も同じだ。」
「金日成って本名じゃなかったの?」
「ん。金日成は抗日戦線の英雄でね。伝説の人だ。もし本人だったら少なくとも60代のはずだ。しかし金日成を名乗る若者は30になったばかりだった。彼はスターリンの指令でその地位に就いた男だ。」
「ふうん、そうなんだ。」
「この金日成と名乗る男の軍隊は、ソビエト製の最新兵器で完全武装していた。当時、朝鮮は日本軍敗走後アメリカの管理下にはあったが、政策不介入を標榜するアメリカ政府のおかげで新旧勢力両班取り混ざって壮絶な骨肉相食む状態にあったんだ。そんな状態だったから一溜りもなく訓練された金日成軍に崩れ去った。あっという間に朝鮮半島南端まで金日成軍の手に落ちてしまったんだよ。」
「トルーマンは6月27日、台湾への不介入方針破棄を宣言し、共産党軍の台湾攻撃阻止のために第七艦隊の台湾海峡出動を命じた。金日成の勢いに乗じて、中国共産党が台湾へ猛攻することを阻止しようとしたんだ。そして同時にトルーマンは、朝鮮戦争にマッカーサーが参与することを命じた。・・きっと悔しかったろうな。トルーマンは。
ともあれ・・国民政府/蒋介石は首の皮一枚で助かった。朝鮮戦争がもう数ヶ月遅かったら、蒋介石/蒋経国父子は惨殺され、間違いなく台湾は中国共産党のものになっていただろう。」