星と風と海流の民#18/フォートカニングの丘へ02
貯水池に沿った小道を歩くと幾つかの掲示板に出会う。しかし遺跡らしきものはない。あるのは繁った樹木があるだけだ。
SIngapore in th 16th Centuryと書いてある掲示板を横目に見ながら嫁さんが言った。
「ふーん、ドレもコレも掲示板は『此処に在った』話ばかりなのねぇ。結局、何も遺跡は無いの?全部、英国軍は壊しちゃっわけ?」
「ん。このフォートカミングパーク貯水池は・・」と、僕は左のフェンスの向こうに1mほどの高さで盛られて続く土塁を指差した。「19世紀最後半に作られたインフラなんだよ。この施工工事でこの丘にあった遺跡は殆どなくなったんだ。治世者である英国にとって遺跡の保護より水供給の方が遥かに重要だった・・というわけだ。もともとシンガポールは天然の淡水資源が少なかったからね。人が増えれば、水の確保は絶対要件なんだ。いまでもシンガポールは水をマレーシアから買ってるよ。マレーシアとシンガポールの国境の橋、コーズウェイがあるだろ?あの下を走っているパイプ群がそれだ。ジョホール水道Johor Waterworksという。それとリンギ水道 (Linggiu Reservoir)というのがある。こいつはマレーシアのリンギ・ダムから来ている水源だ。
19世紀に入るとシンガポールは、マラッカ海峡を通してインド洋と太平洋を結ぶ貿易ハブとして、今まで以上に成長したんだ。それで水・・さ。
1868年に、ときの統治者ハリー・ジョージ・オードSir Harry George Ord提督がマクリッチ貯水池MacRitchie Reservoirを建造している。フォートカミングパーク貯水池は、それに次いで作られたものなんだよ。そして1910年に作られたのがピアース貯水池Upper and Lower Peirce Reservoirsだ。これはシンガポールの中心部ブキッ・ティマ・ヒルBukit Timah Hillにある」
Five Kings Walkと名付けらた小道を木陰の中を抜けながら歩くと、少しずつ下りになってラッフルズハウスRaffles Houseへ辿り着く。
「此処にスタンフォード・ラッフルズ卿Sir Stamford Rafflesの要塞があった」
「ラッフルズ卿って、シンガポール川の所に白い銅像がある人でしょ?東インド会社British East India Companyの人で、最初にシンガポールの統治者になった人」
「ん。彼の作った要塞がここに在った。ここに拠点を置いたのは1822年だ。二回目の上陸の時だ。一回目は1819年でね。マレー王子フセイン・シャーから租借を取ってシンガポール川の河口へ貿易拠点を作っている。でもその時はまだ、シンガポールはオランダ東インド会社Verenigde Oost-Indische Compagnieのものだったんだ」
「あ~そうね。東インド会社って、英国のものとオランダのものがあったのよね。シンガポールはオランダが統治していたんだ?」
「いや、統治にまでは至ってない。それでも実効支配していた。オランダ東インド会社が東南アジアに爪を伸ばしたのは1600年代初めからだ。彼らは同地の主にスパイスを独占しようとしていた。ジャカルタを虚としてスマトラ島やジャワ島、マルク諸島に植民地を築いて。この地域を完全に掌握していたんだよ。その一環としてシンガポールは彼らの支配下にあった」
「そこにラッフルズ卿が食い込んだの?」
「ん。1819年ころ・・って、何が有った?」
「ヨーロッパで?・・いつものようにナポレオン?」
「ん。ナポレオンがオランダを直接併合したのは1810年だ。そのとき、オランダ東インド会社が支配していた東南アジア/特にインドネシア周辺国は全てナポレオンのものになった」
「あ。ナポレオンのものになっちゃったの!」
「ところが彼の敗戦だ。ウィレム1世がネーデルラント連合王国としてフランスから独立したのは1815年だ。オランダ東インド会社は彼の許へ帰った。その揺籃の時に食い込んだのが英国の東インド会社だ。彼らもまた東南アジアの利権を虎視眈々と狙っていたからね」
「なるほどねぇ」
「オランダ東インド会社は怒りまくった。しかし疲弊したオランダに比して英国は海軍力が数倍も優れていた。英国は力ずくで・・という感じだったんだよ。ラッフルズ卿のシンガポール上陸の背景は武力だったという訳さ。マレー王から租借権を取ったのもソレだろうな」
「オランダは怒ったでしょ?でも泣き寝入りしたの?」
「小競り合いは有った。正式にオランダからの抗議もあった。英国政府としてはラッフルズのフライングであるという見解を取っていた。ラッフルズは相当強引に領地拡大政策を取っていたからな。英国政府としては無為にオランダとは揉めたくなかったんだ。それでも両国は1824年に英蘭協定(ロンドン条約)を交わしてね、一応納まりは取れたんだが」
「英蘭協定?」
「ん。いってみれば公的な陣地分け協定でね。シンガポール入りのマレー半島は英国のもの。スマトラ島付きのインドネシア諸島はオランダのものという約束だ。
このことでスパイスの一大拠点は大半がオランダのものになった。英国はマラッカ海峡を利用した貿易拠点を掌握するという道を選んだ。どちらが賢いかと言うと・・やはり英国だな」