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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩4-4/バスを使ってヴォーヌ・ロマネ歩き#04

エグリーズという狭い広場にぶつかる。交差するのはタン・ベルデュ通りで、目の前に有るのが➀Domaine de la Romanée-Conti(1 Pl. de l'Église, 21700 Vosne-Romanée)になる。
http://www.romanee-conti.fr/
不愛想に標識もない。場所を知らなければ辿り着くこともできない。
タン・ベルデュ通りRue du Temps Perduを左曲がると、すぐ見えるのがRomanee St. Vivantの畑だ。
DRC/Domaine de la Romanée-Contiで出しているシリーズは全部で幾つ」
「9種類でしょ」
「名前は?」
「すぐには出てこないわぁ。白はモンラッシェでしょ、エシェゾーは特別な時に開ける赤・・」
「ロマネ・コンティRomanée-Conti/ラ・ターシュLa Tâche/リシュブールRichebourg/ロマネ・サン・ヴィヴァンRomanee St. Vivant/グラン・エシェゾーGrands Echézeaux/エシェゾーEchezeaux/コルトンCorton/白はモンラッシェMontrachet/そしてプルミエはひとつ。ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュVosne Romanee 1er Cruだ。
いま目の前に有るのがRomanee St. Vivantの畑。少し先にRomanée-Contiの小さい畑がある」
タン・ベルデュ通りをまっすぐ歩いた。右側がすべてロマネ・サン・ヴィヴァンの畑だ。
「ロマネ・サン・ヴィヴァンの畑はグランクリュの中でも一番大きな畑なんだ。ヴォーヌロマネはグラン・クリュが8つある。プルミエ・クリュは14だ」
DRCから200mくらい離れると建物が無くなり、左右とも葡萄畑になる。
「左側の畑は?」
「これもロマネ・サン・ヴィヴァンの畑」
目の前にゆっくりとした丘陵が見える。
「ねえ、葡萄一つ貰って食べていいかしら?」
「だめ」



150mでT字路にぶつかった。
「あ!こんなとこにロマネ・コンティの十字架が有るのね!いつもガイドさんのクルマで来るから全然場所が分からなかったわ。ホントに村から近いのね」
たしかに何台か、ツアーのクルマが停まっていた。その人たちが写真を撮り終わるまで待った。
「この前と、左側がロマネコンティという名前で発売されているワインの畑だ。隣はリシュブールだ」
「奥に家が見えるけど‥畑の管理人さんの家?」
「オー・シャン・ペルドリ➁Aux Champs Perdrix( 21700 Vosne-Romanée)という生産者だ。アンリ・オーディフレッドという方だ。ずっとDRCで働いていて、ロマネ・コンティとラターシュを担当していた。もしDRCとブラインドしたら・・僕には区別がつかない」

「そんなに激賞するの?飲んだことある?」
「ある、何度も。よくお土産に僕が使うワインだよ。エチケットを見ればわかる」
「ふうん」


「リシュブールの右の畑。奥に広がってるのがヴェル・ス・リシュブールだ。アンリ ジャイエも手掛けた。ドメーヌ・ルロワ/ドメーヌ・メオ・カミュゼ/ドメーヌ・グロ・フレール・エ・スール/リジェ・ベレール将軍もな」
「前にTAXでDIJONから行ったクロ・パラントゥーの方ね」
「ん。トラクターが入らないそうだ。だから牛にひかせた鋤で畑を耕した」
「すごいわね」

ロマネコンティの畑に沿って歩くと、またT字路にぶつかった。
「前がLa Grande Rueだ。ラマルシュ家Lamarcheの持ち物だ。宗主だったアンリ・ラマルシュは伝説的な樽職人だった。小さいけど秀逸なワインを出してるよ。今のオーナーは彼の娘と孫娘だ」
グランクリュ通りを左へ行くと右側に低い家並みが現れ、そのさきにラターシュ通りRue de la Tâcheがある。小さな看板が目印だ。それを右に曲がった。③Domaine François Confuron-Gindre(2 Rue de la Tâche, 21700 Vosne-Romanée)の作業場みたいな横を抜けていくと
http://www.domaine-confuron.com/
右側にラターシュの畑が見える。
「わかりにくいが手前がLes Gaudichits Ou la Tacheで、奥がla Tacheだ」
「違うの?どこが境目なの?」
「Les Gaudichits Ou la Tacheは1933年までリジェ・ベレール将軍のものだった」
「さっきも言ってたリジェ・ベレール将軍って聞いたことないわ」
「ティボー・リジェ・ベレールThibault Liger-Belairはナポレオンの部下だよ。子爵になってる。彼が1815年にシャトー・ド・ヴォーヌ・ロマネを買ったんだ。19世紀初頭のロマネ村の大親分だ。まあしかし金持ちの放蕩でね、相続問題でもめてDuvault-Blochetに1936年に売り渡した。フィロキセラど真ん中でね、畑は葡萄が全滅してて酷い状態だったんだ。Blochetファミリーはこれを買った。いまはその子孫オーベール・ド・ヴィレーヌAubert de Villaineが所有している」
「だれ、それ」
「DRCのオーナーの一人。最近引退したな」
「あ・それでロマネコンティのものになったの」
「畑の所有者問題。訴訟問題はロマネ村がずっと抱え込んだ病だよ」
少し進んだところに有るショーム通りを左折。③Noellat Georges Vignoble SCEA(1 Rue des Chaumes, 21700 Vosne-Romanée)+33380611103の横を通ってホテルへ戻った。
全部で3時間程度の散歩だろうか。わりと草臥れた。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました