見出し画像

星と風と海流の民#15/満潮のナンマドール05

スペイン王は、アメリカ大陸西海岸・メキシコ(ヌエバ・エスパーニャ)の鉱山で採掘された銀を持ち出すために、太平洋を横断する航路を求めていた。所謂「マニラ・ガレオン貿易」である。
このマニラ・ガレオン貿易を成功させたのは、マゼランの業績を継いだトリビオ・アロンソ・デ・サラザールToribio Alonso de Salazarだった。彼は貿易ルートを確立し、スペインの太平洋支配を進展させ、国家に膨大な功績を残している。そのサラザールがポナペを含むカロリン諸島を発見したのは1528年1月だった。しかし彼の航海日誌の中にポナペらしき名前はない。ポナペの名前を航海誌へ最初に残したしたのは、スペイン人ペドロ・フェルナンデス・デ・キロス Pedro Fernández de Quirósだ。彼は伝説上の偉大な南の地テラ・アウストラリスTerra Australisを追い求めていた。その航海の途中でポナペに出会ったのだ。日誌1595年12月23日。しかし彼は上陸しなかった。当時ポナペはソデルール王朝期だった。極めて好戦的な人々だったので、おそらくキロスはそれを避けたのかもしれない。もしかするとキロスはポナペ"発見"の前に先住民が攻撃的であること知っていたのかもしれない。・・上陸を果たしたという記録はオーストラリア人ジョン・ヘンリー・ロウが残している。1825年9月10日。彼は襲ってきた島民と戦ったと航海日誌に書いている。

「ジョン・ヘンリー・ロウは捕鯨船の船長だったと僕は思うな。この時期から、捕鯨業は大西洋から太平洋に大きく広がっている。彼らは航海の途中で水を求めて色々な島に寄港している」僕が言うと。
「そして島民に襲われた」トシさんが言った。
「ん。交戦してでもジョン・ヘンリー・ロウは水が欲しかったんだろう。当時、カロリン諸島はスペイン王国が圧倒的な武力で支配していた。ほとんどの島々は彼らの支配下にあった。ということは・・カロリン諸島最大の島であるポナペのことを彼らが知らない訳はない。おそらくだな、ポナペの人々があまりにも好戦的だったので手を余らしていたんだろう」
「なるほどな」
「このキロス上陸の3年後、今度はロシア人フョードル・リトケが上陸した。1828年だ。彼も捕鯨業者だ。実はこの時期、ポナペには大異変が起きた」
「?」
「天然痘だ。島全体に天然痘が蔓延した。欧米人が持ち込んだ伝染病だ。外部と敵対していた彼らに?どうやって?」
「どうやって?どういうことだ??」
「アメリカ大陸にいたネィティプ・アメリカン/インディアンは300万人いた。それが100年余りで数万人にまで減った。これも実は、戦いの結果ではなく欧州から持ち込まれた伝染病のためだ。ポナペの住民が伝染病に襲われた時期とほぼ同じ頃だ。欧州からの開拓者は北アメリカ先住民を殲滅させるために、天然痘の菌が付着した毛布を配ったんだよ。おかげでインディアンたちはあっという間に全員が罹患した。アメリカ開拓史にそんな話は殆ど出てこない」
「同じことが此処でも有った・・ということか?」
「分からない。記録はない。しかし有った可能性は極めて高い。なぜ。それほど好戦的によそ者が大嫌いな島民に欧州から伝わった伝染病が蔓延したのか・・状況証拠が事実を指差している。島民は25000人いたと言われている。それが50年ほどで2000人まで減ったんだ。僕はどうしてもそこに意図的なものを感じる」
トシさんは黙ったままだった。

1885年、スペイン王は南太平洋にある植民地を統制するため、カロライナ諸島に重要拠点を置くことにした。マニラ、グアハンに次ぐ第三番目の植民地本部だ、それをポナペに置くという決定をした。この段階で゛島民は25000人から8000人ほどに減っていたらしい。罹患して戦闘不能な者も多かったはずだ。その最初の討伐隊はポサディロPosadilloが司令官になった。彼は駐屯地を島内へ作った。しかし島民は全く靡かなかった。ゲリラ戦は続き、最後はポサディロ隊がほぼ全滅ところまで行った。スペイン王はこれを重く見た。1889年、次の討伐隊がディアス・バレラDiaz Varelaによって組成された。この時スペイン王は前回の失敗を鑑みて、陸上部隊だけではなく海軍を随行させた。ドン・ルイス・カダルソ・イ・レイDon Luis Cadarso y Reyが海軍長官として参戦した。多勢に無勢である。スペインは圧勝した。しかし小競り合い/ゲリラ戦は止まらなかった。
1898年。米西戦争の結果ドイツがこの島の支配者に替わった。すでに先住民は伝染病のため、数えるほどしか残っていなかった。島の人々は、スペイン人たちが他の島から連れてきた穏やかなポリネシア人へ入れ替わっていたのだ。それでも先例を鑑みてドイツ帝国は厳しい統制を敷いた。
1914年、第一次世界大戦勃発。日本は日英同盟を理由としてドイツへ宣戦布告、ドイツ領南洋諸島へ出兵し、これを占領した。そして大戦後に交わされたヴェルサイユ条約によって、ドイツ領南洋諸島は国際連盟の「C級委任統治領」となった。
「C級委任統治領」とは、地元民だけでは自立が困難と見做された地域で、国際連盟は日本国に統治管理権利を預けた。それが1920年である。これを請けて1922年、日本国は南洋庁を設立、南洋諸島は彼らの管理下に入った。当初南洋庁は海軍省の中に有ったが、後に内務省へ移っている。内務省は、教育と医療設備の充実、経済開発に重点を置いた。それに伴って多くの日本人移民者が南洋諸島にも広がった。移民したのは広島県人/山口県人が多かった。
そして第二次世界大戦である。破竹の勢いで始まった戦争も、連合軍が力を矯め攻勢に転ずると、南洋群島はいとも簡単に激戦の地区へ転じてしまった。この戦で多くの日本国は兵を失い、民間船を失い、日本人移民者を失い、そして島民たちも命を奪われてしまった。
1944年太平洋での戦線は連合軍が掌握し、全ての島は彼らのものになった。そして敗戦。1947年、国際連合が設立されると、20年前と同じように「国際連合信託統治制度」なるものが制定され、南洋群島は「太平洋諸島信託統治領」としてアメリカの管理下に置かれることなった。この体制は1990年の信託統治終了まで続いた。

「太平洋の島々は主に4つに分かれた。ミクロネシア連邦 Federated States of Micronesia/マーシャル諸島共和国Republic of the Marshall Islands/パラオ共和国Republic of Palauだ。北マリアナ諸島Commonwealth of the Northern Mariana Islandsは独立の方向へ進まなかった。アメリカ合衆国の自治領と言う道を選んだ」
「北マリアナ諸島・・」
「ん。➀サイパン島Saipan②テニアン島Tinian/③ロタ島Rota/➃アグリハン島Agrihan/⑤アラマガン島Alamagan/⑥パガン島 Pagan/⑦アスンシオン島Asuncion/⑧ググアン島Guguan/➈サリガン島Sarigan/➉ファラリョン・デ・メディニリャ島 Farallon de Medinilla/⑪アンアタハン島 Anatahan/⑫ファラリョン・デ・パハロス島Farallon de Pajaros/⑬マウグ諸島 Maug Islands/⑭ファラリョン・デ・トーレス島Farallon de Torresだ」
「よくソラソラといえるな」トシさんが呆れて笑った。
「このうち米軍の軍事設備があるのは➀サイパン島と②テニアン島だ」
「行ったのか?」
「ん・・テニアンからはヒロシマヘ原爆を載せたB29エノラ・ゲイ Enola Gayが飛んでいる」
「なるほど・・そしてベトナムか・・太平洋の戦時体制はまだまだ終わっていない・・ということだな。今後も続くということだな」トシさんがぼそりと言った。
今度、黙るのは僕の番だった。
朝鮮戦争もベトナム戦争も、膨大な経済効果をもたらし、周辺国(特に日本・韓国・フィリピン)は雇用が増え、景気が急上昇した。多くの人々がそのことで潤った。・・僕の手の上に乗ったパンも、同じく血塗られた屍の上に載せられたパンなのだ。僕は黙るしかなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=jAU4QcVE2eg&rco=1


いいなと思ったら応援しよう!

勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました