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北京逍遥#09~おわり/白雲観で考えたタオという中国人の魂について#03

タオが信心として生まれたのは辿れないほど古い時代だ。しかし宗教として纏まりだしたのは中国の魏晋南北朝からである。太平道が『太平経』を編纂し隆盛するのは後漢末から三国の時代のころだ。五斗米道などもそうだ。こうした初期の道教は"祭酒"と呼ばれる導師が統率していた。これらが祖型になって所謂教会道教が確立していく。
その意味では、宗教として体裁を整え始めるのは漢代に入ってから・・と考えていいだろう。

タオは、日常の所作から呪術まじないのタグイ・神仙道や風水そして易や漢方から導引術までを含む。
ある種、折口が言うところの「まれひと(稀人/客人)崇拝」なので、神農も葛洪(錬丹術)も老子(太上老君)も泰山府君も関羽(関帝)も、町ばに時折出てくる仙人たちも。孫悟空(斉天大聖)も媽祖(娘娘)も、全部肩並べて神様だ。その意味ではギリシャ神話や日本神話の八百万の神さんと一緒だ。
特徴的なのは「まれひと(稀人/客人)崇拝」が根幹なので、他宗教よりも崇拝対象が人間臭くて功利的だ。ご利益が主目的の信仰である。そのため、道士は長生長寿昇天を目指し、在家は養生術/魔除け/ご利益拝受を人々に施す。
その延長線として気功や武術も取り入れ、漢方医薬も取り入れる。
まさに土俗的な宗教だったわけだが、それが六朝時代になると、中国仏教がコンペチターとして台頭してきたため、よりソフティケーションされる道を進んだ、教義は整備され信仰として高級化した。そして北魏の寇謙之・新天師道あたりから教団組織となり「道教」という、仏教と対抗できる宗教として確立されていったのである。

では、道教とは何だろうか?その世界観を見まわしてみると、
中心にあるのは「功過格」だ。すべて功(善行)と過(悪行)に分け、それを点数化して、人の格を推し量る。徳は積むもの「積善」功徳はオノレのためというロジックは此処から出る。
そして「幽顕一如」の世界観である。あの世とこの世は隣り合いあるいは重なり合っている。これが「陰基・陽基」を紡ぐ。
根底にあるのは、老子の「無為自然」「道」「徳」だ。

アクティブというより受動的な発想・・まれひとに寄りかかる、あるいはまれひとになる・・これが道教の際立った特徴だろう。
そのため「神札(神符)」を重要視する。あるいは「守札」によって庇護されることを望む。所謂「護符」である。
これらは寺院あるいは道士が発行し、その護符によって災厄をのがれようとする。つまり、今ある安心/安寧を護持することが最も重要なご利益ということだ。ある意味、弱者のための救済信仰だと言えよう。弱い者が縋るための流木としての宗教・・だからこそ深く民衆の間に根を下ろしているのだと思う。

雲集山房を歩きながら通訳兼ガイド君が言った。
「ただやはり、道士は年々減っています。出家と在家の垣根は無くなりつつありますが、数は減ってます」
彼は「精神阿片」という言葉は口にしなかった「道観も寂れつつあります。たしかに1982年に出された『社会主義段階の宗教問題に関する党の基本政策』で復活はしましたが、伸びないままにいるというのが現状です。道士は世襲が原則なんです。だから継ぐ者がいなくなれば廃れます。新しい道士はなかなか増えない。実は道士になるというと世間体が悪い。家族の中に道士がいると、みんながそれを隠します」

僕は通訳兼ガイド君の言い難そうな口ぶりを聞きながら、戦前に満鉄調査部がだした『中国農村慣行調査』のことを思い出した。
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同書は満州における道士や風水先生の活動を調査している。同書によると道士の社会的位置は極めて低いとある。四民/士農工商からはみ出た職業十八種の一つとされている。それは今でも変わらない
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しかし良くも悪しくも中国人の心にガッッリと食い込んでいるのがタオだ。白雲観を散策しながら、ぼくはシンガポールにある孔子廟と日本の神社/佃島の住吉さんを思い浮かべた。

葬式屋・まじない屋としてのタオは、間違いなく渡来人と共に日本へ渡ったはずだ。しかし日本には"タオ"として根付かななかった。理由は前者が寺に独占され、後者が神社に大半を抑えられていたからだが・・僕はそれより、むしろタオが持つ「まれひと(稀人/客人)崇拝」が日本には馴染みにくかったのではないか?と思うのだ。
日本人は際立った英雄は嫌いだ。憧れても心底それを崇拝する人は少ない。むしろ英雄は非業の死を遂げる・・そのことに日本人はカタルシスを感じる。・・その気質の差がタオの浸透を阻害したのではないか? そんな風に思ってしまう。

ところで・・余談だが。タオのバリエーションである儒を日本に持ち込んだのは、百済から渡来した王仁(西暦289年)だ、と「古事記」にある。
日本に持ち込まれた儒は、朱子学という形で完成され、これが古学派や陽明学へ繋がっていく。もっとも江戸時代には"陽明学"なる学はなかった。明治に入っての命名である。
実はね、明治以降の「まれひと(稀人/客人)」は、その系譜が多いんだよ。・・面白いことにね。
中江藤樹/熊沢蕃山/大塩平八郎/吉田松陰/高杉晋作/西郷隆盛/河井継之助/佐久間象山/岩崎弥太郎などなど・・ね。


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました