ラスコーの谷で考えたこと#07/"伝播と拡範"
レヴィ・ストロースの知見を引用するまでもなく「焼くこと/煮ること」は、食料を体内へ摂り込む時間を劇的に短縮しました。類人猿は、生肉を「呑みこめる状態」にするために、ほぼ半日これを噛み続けます。原人たちは、これを焼く。あるいは土器の使用が始まると煮る。こうした加工をすることで、食材は圧倒的に短時間で体内に取り込めるようになります。また幼少な者/老いた者も、栄養が摂取しやすくなり生存率は飛躍的に伸びたはずです。
農耕/牧畜技術の発生は、この「焼く/煮る」という食料技術の背景があって生まれてきたもの・・ということを心に留めておくべきでしょう。「洗う・味付けする」ということは類人猿でもおこないますが、日常的に「焼く/煮る」のはヒト科の生き物だけです。初期の猿人たちは「火と言葉」を持って出アフリカし、世界へ広がって行ったのです。そしてその技術を背景として生まれてきた農耕/牧畜は、おそらく世界中で同時発生したと考えられます。転々と移住する生活から、比較的定点で生活する形式に変わり始めたのは、そのほうが種族の生存率が良かったからに相違ありません。
こうした同時発生的に生まれた農耕文化でしたが、9000年~8000年ほど前に黒海の南アナトリア地方で、技術的革新と集約が起きました。灌漑技術が確立したのです。灌漑技術は単一の技術ではない。幾つもの技術が倒錯的に重なりあい、沢山の人々が専業化する必要があります。アナトリアで発生した農耕文化は、それを成功させた。人類学者ペドロ・ボッシュギンペラはそう言います。アナトリアの人々は、この技術を持って四方へ広がります。そして次々と各地を席巻して行きました。
アッシリア/メソポタミア/エジプト、そして遠くインダス・・これらの古代文明は、彼らが確立した灌漑技術を背景に生まれてきたものです。そして、そこにはアナトリア地区からの大量の集団移住も有ったはずです。前回書いたように、牧畜に使われているヤギ・ヒツジなどは原種が同地区のものです。またインド・ヨーロッパで広く使われている印欧語(主語・目的語・動詞の語順が優勢なSOV型言語)は、同地区が祖形です。
言語は、人と共に移動するものです。
メソポタミア/エジプトの仲介者としてレバント地方に生まれた文明はミケーネ文明を生み出し、ギリシャへと繋がって行きます。一方、アナトリアから西へ新天地を求めて進んだ人々は、イタリア半島を入り込みポー川周辺ポー平原に広大な農地を作り上げます。その中心に居たのがラテン人であり、彼らがローマ帝国を築き上げて行く。
北へ進んだ人々は、東欧から北欧に進み、銅器/鉄器を使用した特有のケルト文明を生み出します。そして漁労文化を大きく育みます。
こうしたB.C8,000年頃から起きた大きな時代の進化に、ボルドーはそれほど大きく巻き込まれなかった。
それは、やはりアキテーヌ盆地が、西を大西洋で阻まれ、南をピレーネ山脈で阻まれ、東をドルドーニュ中央山地の険しい峰々で阻まれていたからでしょう。技術の伝搬や交流はありましたが、甚大な侵攻は同地のガリア人たちはうけないまま、B.C10,000年以降の6,000年間を過ごしていたようです。
しかし・・その安寧は北から破られました。
ジロンド川の対面、広大な沼地地帯/そして川を遡って来たケルト人たちが、この地に登場するのです。B.C.2,000年頃です。