夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩1-9/サンマルタンの野望02
「時系列で比較してみると・・ブルゴーニュにサンマルタンの"宗教維新"が吹き荒れたのは370年代半ばごろ。実はその20年後395年、贅肉に喘いだローマは東西に分裂している。サンマルタンが教団を引き連れてやってきたとき、ローマはすでにローヌ川流域を自らの経済的大動脈として管理できなくなっていたんだ」
「商売は?」
「交易は動いていた。しかしその統制は腐敗し始めていた。『ローマの平和Pax Romana』は最爛熟期を越えて機能しなくなっていたんだよ。そこにサンマルタンの"宗教維新"が我らにも利益をと雪崩れ込んできたわけだ」
「え~だって、キリスト教の布教でしょ?」
「もちろんそうだ。しかしそれはある意味マーケットを仕切ることでもある。まあこうした事はピークを越えた混乱開始期によくある話だ。ローマは殆ど彼らの為すがままに任せた。だからアレほど完膚にローマの神々/ガリアの神々を破壊し、神殺しが行えたわけだ。おかげで僕らは今、ブルゴーニュで370年代以前のローマ遺跡/ガリア遺跡に逢うことができないのさ」
「神殺し・・ねぇ」
「ん。旧神の地祇はサンマルタンの連れた教団に殺された。だから今、僕らがボーヌで見れる史跡は殆どがサンマルタン以降のものだ。あるいは彼が来る前にこの地を訪れた布教者たちの殉教の跡地だ。でなければ、考古学者たちが近年になって掘り出したものだ。・・こいつは幾つかある。ブルゴーニュは先史時代からヒトが暮らしていたからな。青銅器・鉄器時代まで発見されたものは色々あるよ。デジョンの博物館で見えるよ」
「んんんん。なんかボーヌの景色のイメージが変わっちゃう気がする」
「國破れて 山河在り 城春にして 草木深し・・さ。支配者は変遷しても民は動かない。民まで動かして国を変えてしまうほどの圧政者はそれほどいない。ボーヌの先達たちは2000年この地を守って生きたんだ。それで十分だろ?僕らは、ヒトとヒトの長い営みに、逢いに来たのさ。支配者たちの欲の跡を見に来たわけじゃない」
ホテル・デュ通りを歩くと、すぐにMarche aux Vins/Cellier des Gourmets(7 Rue de l'Hôtel Dieu, 21200 Beaune)が右側に見える。
ここは日本まで買ったワインを送ってくれる。ボーヌでのワイン買い漁りはここが便利だ。
それとホテルへ向かう通りの途中にVins Fins Ph.Delagrange(Rue Nicolas Rollin, 21200 Beaune)がある。Le Central Boutique-Hôtelへ泊るときは必ず此処で部屋に帰った時に開けるワインを買う。
此処を紹介してくれたのはホテルのレストランで、確かに地元のビッグネームじゃないものをマメに揃えて会って素晴らしかった。今日はジャイエ一族のパストゥグランを買った。