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コリョサラムGoryeo saram#10/アゼルバイジャンのバクーにて#10

たしかに1937年の強制移住は、極東における日本との軍事的緊張を反映したものだった。朝鮮半島が日本国の統治国となり、満州傀儡国が建国されると、長い間殆ど無人地帯でしかなかった国境が大きな問題になった。どこまでがロシアか?どこまでが満州国なのかである。ロシアは公然とスパイ活動を満州国に仕掛けていた。そして日本も沿海州に居住する高麗人住民を利用してスパイ活動をしていると断定した。極東地区がロシアの管理下に入り、同地の高麗人がロシア人になったにも関わらずだ。
スターリン/共産主義者たちは、農民そして少数民族に強い差別意識を持っていた。侮蔑感であり猜疑心である。これは極東地区がロシアのモノになり、そこに住む高麗人がロシア人となっても変わらなかった。彼らを駆逐すべきであると云ったのは、スターリンの走狗ニコライ・エジョフだ。彼は朝鮮人をコルホーズへ送るべきだとスターリンに提言した。
「親日的な体質の朝鮮人が、我が国境地域に棲むことは好ましくない。」としたのだ。
時代は、新興国である枢機卿側への締め出しに入っていた。その危機的な時期に、一気にその疑惑が表出したのである。
強制移住の命令を受けた極東沿岸周辺の朝鮮人たちは、行き先も告げられず貨物列車で移送された。目的地はウズベキスタンとカザフスタンのコルホーズである。そしてそこからさらにキルギスタンとロシアのヴォルゴグラード州アストラハン管区に送られた。その数は11万人以上という記録が残っている。・・しかし朝鮮人の強制移住はこれで収まらなかった。朝鮮人は農業経験が豊かで我慢強いと見たからだろうか・・37年以後は、極東沿岸地帯だけではなくその他のロシア各地に住む朝鮮人に対しても同じく強制移住措置が適用された。そして45年末まで、ほぼすべての朝鮮人が中央アジアに送られたのである。
・・朝までかかって、送られたレポートと資料を読破した。
夜は白々と明け始めていた。
「・・Goryeo saramね」僕は窓辺に立って、ガラスを打つカスピ海の風を見つめてた。
いかに自分は自分が見たいものしか見ていないか・・痛感した

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました