小説特殊慰安施設協会#08/1-2 銀座一ノ七
小町園には英語できちんと対応できるものが誰もいなかった。唯一、ロサンゼルスで女給をやっていたという女がブロークンな英語で相手をしているだけだった。しかし米兵はあまりにも傍若無人だった。片言でも話せる者がいれば大丈夫だろうと高をくくっていた高松も、さすがに音をあげた。そして林穣に「助けてくれ」と、昨日朝一番に頼みこんだのだ。林穣も自分の仕事で手一杯だったが、小町園は協会第一号店である。開店前日から毎日顔を出している高松に助けを求められれば行くしかない。林穣は高松部長の車に同乗し、大森海岸まで出向いた。
この時期、小町園を訪ねた米兵の大半は、大森海岸にあった米軍兵捕虜収容所解放のために動員された海兵隊員である。東京湾に停泊する海軍哨戒艇から直接大森海岸に上陸し、収容所の捕虜たちをそのまま上陸艇で救助した部隊の兵士だ。
そんな彼らが何故少し離れたところにある小町園のことを知っていたのか?実は内務省が、連合軍の民生局にその旨書面で伝えていたのだ。書面を受けた連合軍民生局は、そのまま敗戦国日本が上陸する米兵のために慰安施設を用意していることを兵士たちに伝えていた。
最初は武装したままの米兵たちが恐る恐るやってきた。
小町園は大森海岸産業通り沿いにある料亭だ。協会はそこを買い取り、客間を垂れ幕で仕分けして、それぞれに布団を敷いて女を置いていた。そして玄関にはロスで女給をしていたという女を案内役においた、やってきた米兵たちは「前払い。ショートで3ドル」という説明を受けたあと、それぞれの部屋に案内された。米兵たちは部隊に戻ると仲間たちにその話をした。そして話を聞いた兵士たちが次々とジープでやってきた。初日28日、数十名だった米兵は、翌日29日には数百名単位に膨れ上がっていた。それを38名の娼妓が対応したのだ。
この日、林穣が見た小町園は、荒くれの米兵が傍若無人を尽くす修羅場だった。
小町園に並んでいる米兵たちは、自分の番になるとチケットを貰って、女たちの所へ案内される。兵士たちは、すぐさまズボンだけを脱いで、狂気のように女たちを抱く。獣のようが叫び声が其処かしこから上がる。女たちの悲鳴がそれに混じる。言葉も何も繋がらない交合いである。米兵たちは蹂躙するように女を抱く。女たちは命を危険を感じて無意識に抵抗する。獣のような呻きと怒鳴り声。悲痛な絶望の悲鳴。まさに阿鼻叫喚だった。
林穣は小町園の玄関に上がった時、充満する淀む異臭に圧倒された。獣の臭いだ。そして奥から聞こえてくる、人とは思えない叫び声に怯んた。
「なんですか?これは。」林穣は高松部長に言った。
「戦地帰りだからな。外地の日本兵も皆こんなもんだったさ。そのうち落ち着く。落ち着かせるために林部長に張り紙を書いて欲しいんだ。それと簡単な英語を、案内してる うちの社員に教えてくれ。さすがに、サンキューは言えるが、あっち行ってくれ・こっち行ってくれになるとお手上げだ。」高松は笑わないまま言った。高松は意外なほど冷静だった。
靴を脱ぐ習慣のないない米兵が土足のまま玄関を上がってくる。林穣は、先ず「靴を脱いであがるように」という張り紙を幾つも書いて、入口に貼った。しかし、それでも靴のまま上がってくる米兵がいる。
実は、米兵の中には文盲の者が相当数いた。いくら大きく書かれた張り紙を貼っても、読めなければ意味がない。その、見ようともしない米兵に呆れ返って、林穣は思わず腹立ちまぎれに『米兵は、字が読めないやつらばかりなのか』と英語で呟いてしまった。それを、順番を待つ米兵の一人が聞きつけた。その米兵が杖をつく林穣を突き飛ばした。
『おい、ぴっこ!字が読めなくてどこが悪い?!字が読めなくても、お前を撃ち殺すことはできるんだぞ。その杖が要らないようにしてやろうか!』その米兵が怒鳴った。列に並ぶ米兵たちが大声で嘲笑した。林穣は暫く蹲ったままでいた。その蹲ったままの林穣を跨いで、土足の米兵たちが次々と小町園に入っていく。
小町園の玄関の外には、百人以上の米兵の列が出来ている。彼らは奇声を上げ、ホイッスルのように口笛を吹き、地団駄した。『早くしろよ。後が使えてるぞ。』『だめだ!もう漏れそうだ!ばかやろう!』嬌声を上げ、大笑いしていた。 廊下に蹲りながら、林穣は思った。もし、日本が勝っていたら。アメリカ本土に渡った日本兵にアメリカは売春宿を作っただろう。きっと、作った。戦争は人を獣にする。
そしてその夜。娼妓の一人が京浜急行へ飛び込んだ。彼女はプロの娼妓ではなかったという。