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夫婦で歩くブルゴーニュ歴史散歩5-01/バスを使ってジュヴレ・シャンベルタン歩き#01

https://www.youtube.com/watch?v=hKmplUZbCqM

D974グランクリュ街道のバス停Gevrey Croix Champsは上下する道を二つに分ける緩衝帯の手前に小さな看板だけである。ほんとに誰か降りる人があるのか?という素っ気なさだ。
さすがにこんな標識が幾つも続くバスルートだから嫁さんも慣れたみたいで何も言わない。降りると葡萄畑の真ん中だった。少し先に民家が見えた。嫁さんがそちらへ歩こうとした。
「ちがうちがう、反対側だ」

手前に右へ進む道がある。レストランのマークがついたCHEZ GUYという標識とRotisserie du Chambertin/Bistrot Lucienがある。下に矢印付きでMaririe-Communaute de Communesだ。クロア・デ・シャン通Rue de la Croix des Champs りという。
「あれを入る。Rotisserie du Chambertinってあるだろ?あれが目的地だ」
歩くと遠い。1kmくらいある。これだけでこりゃジュヴレ・シャンベルタンは歩くな・・と実感した。
しばらくすると道は三叉路になった。左側がシャンベルタン通り Rue du Chambertin。これへ進んだ。
「まだ行くの?朝から長い散歩ね」嫁さんが言った。
「もうすこし向こう・・」
ホテルの入口はシャンベルタン通りとシュエンヌ通りRue du Chênの交差点に有った。二階建ての立派な邸宅だった。
Rôtisserie du Chambertin - Hôtel & Restaurant(6 Rue du Chambertin, 21220 Gevrey-Chambertin)
http://www.rotisserie-chambertin.com/

チェックインは15時だが、ランチの予約はしてあったのでその旨をレセプションで確認した。
「すこし近くを歩こう。昼に戻ってこよう」僕が言った。
「それよりお茶したい」と嫁さん。
レセプションに頼むと、入り口の外にあるテーブルをセットしてくれた。なかなかきちんとしたコーヒーだった。これだけでレストランの技量がわかる。
「此処のレストランはミシュラン一つ星だよ」
https://guide.michelin.com/jp/ja/bourgogne-franche-comte/gevrey-chambertin/restaurant/la-table-d-hote
「あらま」
ここのビストロ・ルシアンでランチも予約した。
「ふうん。いいわね」
゜このコーヒーを飲んだだけで、レストランの技量が判る」
「そうね」

「今度のブルゴーニュ歩きは、すごい新鮮な感じがするわ」嫁さんが言った。
「そうか?」
「だって大きな国道の何もない所にポツっと立ってる標識でバスに乗って、ひたすら真っ直ぐ走って、周りは360度ワイン畑で、また何もない所にポツっと立ってる標識の所で降りるなんて初めてですもの」
「ん。でも意外に近い。
19.VOSNE-ROMANÉE Petite Auberge
【06:41 07:43 08:48 10:05 12:46 14:46 17:25 17:53 18:46】
24.GEVREY-CHAMBERTIN Croix des Champs
【06:53 07:58 09:01 10:16 12:57 14:59 17:37 18:06 18:58】
デジョンからボーヌ村へ走るバスはワイン畑で働く人たちが多かったが、逆方向はそんな人より買い物に行く村の人たち利用が多いんだな。これも初めて知った。住民の大事な足なんだな。D974は・・」
「全部周りは葡萄畑って、びっくりだわ。いくらバスで走っても葡萄畑ですものね」
「ん。GEVREY-CHAMBERTINはコートトールのワインの中心地だ。ブルゴーニュのワインはここから始まったんだよ」
「そんなに古いの?」
「紀元前1世紀の葡萄が見つかっている。それも120本もだ。ジュヴレ シャンベルタン村の近くだ。住宅開発の途中で見つかった。此処が最古のガリアでのワイン畑が有ったところだ。大プリニウスとコルメラがローマ時代にそう書いているが、それが考古学的に実証されたんだよ。葡萄は列を為してうえられていたんだが、ニュイのように段丘にではなく大きな野原に植えられていたんだよ」
「そんな広い大きな野原がここに有ったんだ・・」
「ない」
「ない?」嫁さんが身体をとめた。
「全部、ゼロから作ったんだよ」
「ゼロから?」
「ん。修道僧たちがね。
ほら・・ボーヌロマネのVosneは語源がvidumos・・森だと話したろ?アレだよ。この辺りは原生林で埋もれていたんだ」
「全部、原生林?」
「王からこの地を寄贈してもらった教会は、此処に修道僧を送り込み"修行"という聖名で開墾を行ったんだ。
たとえば・・フランクフルトの北西にフルダという町がある。そこのフルダ修道院Dommuseum Fulda(Domdechanei 4, 36037 Fulda)
はボニファティウスの弟子ストゥルミウスによって創設された修道院だ。ボニファティウスは、時の教皇ザカリアスに宛てに、その建設の様子をこう伝えている。
『私たちが布教している地域の人々の真っ直中に、広大なる原生林numusが広がっております。 そこに修道院を建立し、聖ベネディクトゥスの戒律の下に生活する一群の修道士たちを住まわせることにいたしました。彼らは葡萄酒もお酒もともに断っております。農奴も用いず自らの労働で満足いたしております。 元フランク王国の王太子であったカールマンを通して、また敬虔で神を畏敬する人々の助力によって、私が苦労して手に入れたこの栄えある土地は、聖なる救世主を記念して奉納したものです。………私たちの周囲には神の恩寵によってキリストの言葉を話す住民が四方に住んでおります。ご存じのように私が生きて能力のある限り、力を尽くして貴方の援助の下に彼ら住民のためにお役に立ちたいと思います』(『書簡』八十六)
「ジュヴレ・シャンベルタンも同じだ。原生林に覆われていた。コルトンで観たCorgoloinの採石場があったろ?」
「ええ、あの石灰岩の崖はデジョンからずっと続いてる断崖の一番南・・だったのよね」
「そうだ。ジュヴレ・シャンベルタン近くではコンブ・ド・ラヴォー La Combe D'orveau(ラヴォーの谷)という。その崖の崩れた跡がソーヌ川に向かって扇状に広がっているんだ。


フランスのジオポータルを見ると明確だよ。
下の部分がコンクールの谷だ。ヴォーヌ・ロマネの谷のことな。そして上の方がジュヴレ・シャンベルタンに続くラヴォーの渓谷だ。」
その場でipadで嫁さんに見せた。
https://www.geoportail.gouv.fr/
この扇状地の傾斜地が太古は原生林で覆われていたんだ。


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました