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夏華人に追われた隼人たち

第四間氷期後半、数千年かけて太平洋西岸へ広がっていったオーストロネシア語族だが、彼らを南へ海域へと追いやったのは、BC3000年ころより中原に台頭した夏華xiàhua族だという話をした。太平洋に大きく広がった「星と風と海流の民」のことを考えるとき、僕らはやはりこの夏華族の台頭から話を始めないといけないのかもしれない。

この「華夏xiàhua」という言葉だが、初出は『春秋左氏伝』襄公26年(BC546)にある。
ここに「貴華夏,析公楚為之也」とある。唐の孔穎達はこれに「華夏は中国なり」という疏をつけている。今でも中国人(インテリジェント)は自らを漢族と呼ばずに夏華族と呼ぶ人々が多い。
司馬遷の『史記』は「五帝本紀」「夏本紀」「殷本紀」で、この夏華族について語る。彼らは黄帝・堯・舜から始まり、夏王朝あたりから周辺地域へ広がったと。もう少し突っ込んだところを知るには、夏華人そのものが書いた『漢書』『後漢書』が良い。「西域伝」「匈奴伝」「南蛮伝」には華夏族がとんな形で黄河流域から周辺地域へ拡大していったかがリアルに纏められている。とくに「南蛮西南夷列伝」は詳しい。


続く魏・蜀・呉の三国時代は、陳寿が『三国志』を編纂している。「魏志」「蜀志」「呉志」では、周辺の民族を「匈奴、鮮卑、南蛮」と呼び、彼らを教順・制圧していく姿が描かれている。蜀の諸葛亮による「南蛮征討」が有名だ。

中原の文明は三皇五帝から始まり、夏代(BC2070-BC1600)から殷代(BC1600-BC1046)となり周代(BC1046-BC256年)へ続き、秦代(BC221-BC206年)そして漢(BC202-AD220)と2000年かけて流転した。その流転と拡大に、広東省から越の先住民は翻弄されたわけである。
おそらくその源流は福建省沿岸の隼人たちだろう。その始祖を辿るならば河姆渡人にまで至るのかもしれない。
いずれにせよ夏華人の拡大が、広東/広西そして福建の人々を脅かし、その難を逃れた人々は更に南へ、あるいは海上へと広がったに違いない。

その拡散先のひとつである台湾でその軌跡を見るならば、台湾東部・台東県にある国立台湾史前文化博物館National Museum of Prehistory( No.1 Museum Rd.,Taitung,Taiwan,950263,R.O.C.)がいい、

ここは、台湾先住民族の一つ「卑南族」の古代文明の遺跡跡に建てられた博物館だ。台東空港からTAXIで20分程度の所にある。新北市の北側にある「野柳地質公園」を思わせるような奇岩が並ぶ海岸地帯を持つ街だ。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました