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ロワール川ワイン散歩#01

モンマルトルの行きつけのワインバーにいた。
手にしていたのはCabernet d'Anjouだった。セパージュはカベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨンだ。
カベルネ・フランはバスクを原種とする葡萄だ。寒冷種なので早くからフランスに入った。ロワールのワインにはこれを使うものが多いのは、おそらくあの川を遡上してきた人々に、持ち込んだ者たちがいたということだろう。僕はグラスを見つめながらロワール川を幻視した。
週末に見に行くか・・と思った。で。ワインを片手にグーグルマップを見てみた。やはりTGVが早い。
パリ・モンパルナス駅からフランス各地へ走るTGVの一つにナントへ向かう鉄路がある。
路線を追うと、トゥールを越えたあたりからロアール川に沿って走るようだ。
これがいいね。これに乗ってみようと思った。

その週末、モンパルナス駅へ出てみた。
・・モンパルナス駅は複雑で分かり難い駅だ。できれば余裕をもって出発し、駅構内にある駅の地図を見ながらさ迷うのがよいと思うね。僕は何度行っても必ず迷う。だからあまりタイトなスケジュールはお勧めしない。僕もその日は早くアパルトマンを出て駅へ向かった。
長距離列車は、ホール1とホール2から発着する。ナント行きのTGVも、大抵この二つのホールから出発する。先ずエスカレーターで駅階上へ進むとき、最初にどこがホール1かホール2かを探すのがいいだろう。ホールに入ると、最初に目に飛び込むのは、天井高く広がる空間と電光掲示板に映し出された無数の目的地だ。こいつになかなか目的地が表示されないのがフランス式だ。それでも出発の約20分前くらいになると、掲示板にプラットフォーム番号が表示されるのだ。
乗車場所が分かったら、チケット乗り場へ行くのだが、僕は事前にインターネットで買っておくことをお勧めしたい。チケット乗り場探しにウロウロ歩く手間が省けるからね。

あとは掲示板にデータが出てくるまでの時間つぶしだ。僕は大抵、ホームの近くのカフェを利用する。それも可能ならばホームの喧騒と電光掲示板の点灯交差する様子が見えるところを探す。
忙しく旅路に走る人々を見ながら、時間を潰すのが好きだ。
時間が近づくと「Nantes」と書かれた文字が、ポ!と出る。その瞬間がすきだ。そして、そこに指定されたプラットフォームへ進む。僕もまた旅人の一人になるときだ。

TGVに乗り込んでしばらく経つと、列車は出発の合図もなく動き始める。モンパルナスの駅を離れると、しばらくは都会の喧騒の中を走るが、すぐに街を抜けて西南へと走り出す。周辺はフランスの中央部に広がる広大な平野になる。窓の外には広がる平坦な大地と、遠くに見える穏やかな丘陵地帯が次第に現れ、都会から農村への移ろいが鮮やかに映し出されていく。石灰岩層や粘土層が広がるこの土地は、フランス屈指の穀倉地帯であり、多くの河川がその大地を潤している。何世紀にもわたり、人々がこの地を耕し、文明の基盤を築いてきた歴史が、静かな景色の中にも漂っている。

僕はこのとき「Histoire de l'Île-de-France」という一冊の本を携えていた。Michel Mollat du Jourdinによるこの本は、イル・ド・フランスの歴史を掘り下げた一冊だ。かつて家内とシャンパニュー地方を旅していたときもこの本を手にしていた。
ロワール川を見に行くのに、なぜこの本を手にしたかというと、ロワール川こそイルドフランスの南限だろうと思ったからだ。
北限はシャンパニューを歩きながら見た。今度は南限としてのロワール地方をみてみるかな・・と思ったからだ。

https://www.amazon.fr/Histoire-l%C3%AEle-France-paris-Mollat/dp/B0000DLA63

イル・ド・フランスの「Île(島)」の語源は、この地を囲むセーヌ川とその支流に由来するという。
歴史的には、900年代にフランク王国の統一が進む中で、王たちがこの地を直轄領と定めたことが、この地を特別な存在にした。この地は単に地理的な中心地にとどまらず、フランス王権の根幹を築く基盤となったのだ。多くの地域が地方領主の分権南限的な支配下に置かれていた当時、イル・ド・フランスだけは王権が直接管理する土地として特別な地位を占めていた。そのため、ここを中心にフランスという国が形成されていく過程は、まるでひとつの壮大な物語を紡ぐようだった。
この王権の中央集権化は、フランス語の形成にも影響を及ぼした。イル・ド・フランスで話されていた言葉が「正しいフランス語」とされ、他の地域の言葉は方言として扱われた。こうした言語的な統一はフランス全土に文化的な一体感をもたらしたが、同時に地方の多様性を抑圧する要因ともなった。この言語への優位性の偏りは、フランス社会において長く影響を残し、今なおその名残を見ることができる。

フランス王たちは、イル・ド・フランスを政治の中心地とするだけでなく、宗教的・文化的な中心地としての地位を確立しようと努めた。ノートルダム大聖堂やサン=ドニ修道院は、その象徴である。特にサン=ドニ修道院は、歴代の王たちの埋葬地として、フランス王権の神聖性を強調する役割を果たした。また、12世紀に創設されたパリ大学(ソルボンヌ)は、この地を知の探求の場とし、学問の中心地としての名声を確立した。このようにイル・ド・フランスは、中世ヨーロッパにおいて政治的な権力、宗教的な威厳、知識の探求が交錯する場として特別な地位を築いたのである。

こうした文化的・宗教的な発展と並行して、イル・ド・フランスは経済的な中枢としての地位をも確立していった。セーヌ川は、物流や交易の基盤となり、この地域を国内外の商業活動の中心地へと押し上げた。経済の発展は、市民階級であるブルジョワジーの台頭を促し、フランス社会に新たな動きをもたらした。この地で行われた商取引や交流は、フランス全土に影響を及ぼし、ひいてはヨーロッパ全体にも波及していった。

イル・ド・フランスは単なる地名ではない。それはフランスの歴史、文化、政治、経済、そして宗教のすべてを凝縮した縮図であると言える。この地の風景には、フランスという国が辿ってきた長い歴史の息吹が、静かにしかし確実に刻まれている。時代を超えて輝き続ける「フランスの心臓」、それがイル・ド・フランスだ。
「ロワール川なぁ。そうだよなぁ。もしかするとイスタンブルのガラタ橋みたいに橋の真ん中に"これよりフランス"という標識があるかもしれないな」
車窓を見つめながら、独りで僕はそう呟いた。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました