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ぎんざものがたり1-4/アーニーパイル劇場04

1946年よりアーニーパイル劇場舞台総監督に就任した伊藤道郎は、高長身の目から鼻に抜けるような俊才だった。
彼は開戦までNYCオフブロードウェイで活動していたが、1943年に家族を残して日米交換船で帰国していた。このブロードウェイ時代に、彼を恩師としていた将校がいた。彼がThe United Service Organizationsを通してダイク准将に伊藤道郎を紹介したのだ。伊藤は即断して仕事を請けた。

就任初日、舞台にスタッフ全員を集めた彼は、こう言い放った。
「米兵でも分かる程度の演目をやる。」
スタッフは、戦前からの宝塚の社員だった。彼らは伊藤の放った言葉に茫然とした。
「米兵でも分かる程度?」
このとき舞台に立ったスタッフたちは、戦争激化とともに閉鎖した劇場から離れていた人々である。彼らは劇場開始と聞いて誰の命令でもなく三々五々集まってきたのだ。大道具・小道具・照明・音響すべて宝塚時代からの生え抜きだった。
しかし、米軍に接収された後は、米兵とその日系米人通訳が跋扈するものに劇場はなっていた。演目は映画が中心で、合い間に寸劇のようなレビューが始まる程度のものだ。なんだごれは?彼らは失望した。

その悔し涙と閉塞感のなかに沈むスタッフへ、伊藤道郎は胸を張って言った。
「ホンモノの舞台人の仕事を見せつけてやろう。米兵が分かる程度の演目でな!」
全員が。おおおお!と声を上げた。
「こけら落としの舞台は俺たちでやる!米国人にはやらせない」と力強く叫んだ伊藤道郎に、歓喜の咆吼が上がり、泣き叫ぶ声が幾つも飛んだ。
・・そのとき、副支配人の久我進はスタッフたちの一番後ろに立っていた。彼は、全員の感動に心を振わせながら思った。
「たしかに・・しかし・・失敗は許されない。もしステージが気に入らなければ、米兵たちはブーイングを飛ばし、演目はすぐさま台無しになる。その責任は伊藤道郎が取るだけで済まない。結城総支配人も私も、他の東宝責任者もタダでは済まない・・失敗は許されない。」

スタッフの歓喜の咆吼が収まると、伊藤道郎は再度手を挙げた。全員が、水を引いたように静かになった。
「初日は、2月24日だ。日曜日だ。あと40日後だ。シナリオはある。すぐにガリ版刷りする。みんなに配る。題目は『ファンタジー・ジャポニカ』だ。ミュージカルだ。日本人踊り子と日本人劇場人の技術力で米兵の息を止めてやる。・・この檄が終わったら責任者だけ残ってくれ。舞台構成を今すぐ始めたい」
「はい!」全員が強く返事した。
すぐ傍らに佇む宝塚の少女たちは手を繋いで泣いた。
その歓喜を目の前にして、「勝てるな」久我進は確信した。総支配人にご報告しよう。伊藤道郎は成功します・・と。

・・翌日から劇場は臨戦態勢に入った。
ちなみに、この日伊東道郎の檄を受けた少女たちは、ついこの間まで、宝塚劇場の地下で、パラシュートを縫っていた娘たちである。貿易風に乗せて飛ばそうと考えられた幻の米大陸向け風船爆弾は、この地下で彼女たちの手で製造されたのだ。
その子たちが、そのまま伊東道郎の指揮のもとステージに立ったのである。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました