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星と風と海流の民#31/ミランコビッチ・サイクル02

ホロシーン気候最温暖期Holocene Climate Optimumは1万年ほど前から5000年くらいまで続いた。この時期、地球全体は現在より暖かかった。
北半球中緯度・低緯度地域は、このホロシーン気候最温暖期の影響で、気候は現在よりもはるかに温暖で湿潤な状態になり、植物や動物の生態系が大きく変化した。これがヒトらに大きな影響を与えた。新石器時代に質的な変革をもたらし、農業革命へ進んだのである。
特に中国や東南アジア地域。インダス川流域。チグリス・ユーフラテス川地域では、稲や麦を利用した農作が生まれ、立農による定住化が始まった。定住化は灌漑技術の発展を産み出し、新石器時代の農耕文化は次第に最初の古代文明へ繋がる形にまとまっていくようになった。
この灌漑技術は、ヒトの組織構造に精緻のヒエラルキーをもたらし、業務の集約化をなし崩し的に作り上げた。ヒトは、王とその管理人、そして職人、農夫、奴隷という仕訳を自分のグループの中に作り上げたのだ。この棲み分けは、現代まで連々と続いている。

このホロシーン気候最温暖期の影響だが、実は地域によってかなり異っていた。温暖化が進むと、地域によっては乾燥化が起きる所があったのである。特にホロシーン気候最温暖期が始まって3000年ほど経つと、その地域差は際立ったものになっていった。・・例えばサハラ砂漠はこの時に生まれている。もともと水が豊富で豊かな緑なステップ地帯だったサハラは、この乾燥化により砂漠化が進行し、現在のような地域になっている。
湿潤地区/乾燥地区が現れるようになると、これは動植物に大きな影響を与えた。自然淘汰が機能し、乾燥地区では耐性のある植物や動物が広がり、湿潤を好む種は生活圏を余儀なくされた。この環境の違いによって、種分布が大きく変化し、夫々に適応した生態系が確立されるようになった。

オーストロネシア人の祖型である先オーストロネシア人proto-Austronesiansは、この時代に太平洋中央部東海岸で暮らしていた。彼らが3万年ほど前よりユーラシア大陸を、東進してきた現生人類の末裔なことは間違いない。ところが彼らは西からやってきたヒトらの特徴であるグラヴェット文化を持っていなかった。旧人から引き継いだ石器技術や生活様式を持っていたのだ。このミッシングリングは今のところ誰も埋めていない。
太平洋中央部東海岸でホロシーン気候最温暖期の恩恵を受けたのは彼らだった。先オーストロネシア人は半農半漁の生活様式を編み出し、海岸に隣接した平野部に生活の拠点を置いた。しかし温暖化によって海面は上昇し、次第に彼らの生活圏を奪った。さらに乾燥化によって半農半漁の生活が維持できなくなっていった。つまりヒトの数に匹敵できる生活圏が太平洋中央部東海岸では保持できなくなってしまった。
これが先オーストロネシア人たちが、さらに南へ生活圏を移していった最大理由である。

乾燥化によって6000年前に始まった先オーストロネシア人の移動は、アジア史の最も重要な文化的言語的拡散だといえよう。
彼らの拡散は東インド・東南アジア・インドネシア・ニューギニアにまで及び、膨大な実績と血流をアジアに残した。その影響は今でも脈々と残っており、アジア太平洋地域の民族形成に彼ら理大移動は大きな影響力を残している。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました