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ぎんざものがたり1-2/アーニーパイル劇場02

日比谷東宝劇場がGHQに接収されたのは1945年12月24日だった。
その日の朝、唐突に終戦連絡事務局の人間がロバート・バーガー中尉Lieutenant Robert Bergerと数人の将士を伴って劇場総支配人結城雄次郎を訪ねた。そして接収通知を出した。

「本日をもって本劇場は第8軍の管理下に入る」という通告書だった。
結城は半ば覚悟していたので殆ど動じなかった。
「本劇場の総支配人は本日より、ここに居られるバーカー中尉が就かれる。結城さんは補助に回ってください。」終戦連絡事務局の人間が言った。
「本劇場は連合軍兵士の為の専用慰安施設として利用される。運営費はすべて戦争賠償金で賄われます。」続けて終戦連絡事務局の人間がしゃべろうとすると、バーカー中尉が片手をあげてそれを制止した。
「補助に回るのは貴君だけではない。すべての業務に就いている者もだ。我々は、この劇場で兵士たちが納得できるレビューをやるつもりなので、主要スタッフは・・ダンサーも音楽家も舞台装置の製作者も、すべて本国から招聘する。」バーカー中尉は冷たい視線でそう云い放った。「そのつもりでいてくれたまえ。」
その横柄な態度の前に結城雄次郎は一言も言えなかった。

「彼らの指示によって舞台を構成するなら、全て何もかも彼らが仕切らなければ公演は不可能です。言葉が通じないのに仕事は遂行できませんよ。」
翌日、バーガー中尉と再訪した終戦連絡事務局の人間に結城支配人が言った。
バーガー中尉は、結城がいた総支配人室に入り、結城の荷物を連れてきた米将兵に命令して別室に運ばせていた。それを横目で見ながら、日頃温厚な結城が終戦連絡事務局の人間に鋭く言ったのだ。
終戦連絡事務局の人間は当惑して沈黙したのち言った。
「彼らが米兵の通訳を同道してますから・・何とかなるでしょう。」
それには結城が沈黙した。こいつらはだめだ、結果を見るしかないと判断したのだ。
混乱はすぐに起きた。日系米兵通訳の話す日本語はチンプンカンプンだった。最初は黙っていた現場の連中が、しまいには怒り始めるほどだった。
「勝てば官軍じゃねぇだろ。なんか仕事させたかったら、何をさせたいのかキチンと言えよ!」
仕方なく終戦連絡事務局の人間が通訳として間に入ったが、今度は符丁でつまづいた。終戦連絡事務局は帝大出の能才ばかりである。彼らが舞台大道具が忙しく立ち働く横へ米兵と並んで通訳したのだから、たまらない。例えば「これからコロガシ笑うんだ」と言われて、それをそのまま直訳する。何を言ってるのか訳したほうも聞いたほうも判らない。コロガシというのは舞台の上に置かれた音響設備の事である。笑うというのは片づけることだ。そんな頓珍漢なやり取りがあらゆる場所で起きていた。現場は、米兵と舞台関係者と終戦連絡事務局が完全に硬直状態になった。

総支配人室のバーカー中尉は結城と終戦連絡事務局の人間を呼びつけると,机を叩きながら烈火のごとく怒った「ろくに英語も話せない土人ばかりなのか?この国は!!」
結城は無言のままだった。
「こいつも英語ができないのか?!」結城を指してバーガー中尉が言った。
おもむろに結城が言った。「多少ですが、話せます。I speak English, although I'm not very good at it.」それは見事なキングス・イングリッシュだった。
一言で、アメリカの片田舎から出てきた兵隊との格の違いがでる英語だった。
一瞬、バーガー中尉の言葉が止まった。
結城は続けた。「私のスタッフの中で、英語を理解している人はめったにいません。でも、彼らの仕事は完璧です。クオリティーはブロードウェイにも引けを取らないでしょうIt is rare to find a member of my staff who understands English. But their work is perfect. The quality is probably second to none on Broadway.」
しっかりとバーガー中尉を正視し、ゆっくりと流暢に話す結城の態度にバーガー中尉は圧倒された。歯噛みするばかりだった。
ほんとうは「あなたはブロードウェイをみたことがあるのか?」と言い足したかったかもしれない。しかしそのことは口にしなかった。結城はそのままバーガー中尉を黙って見つめた。
「ならば・・なんとかしろ!」バーガー中尉が終戦連絡事務局の人間を怒鳴りつけた。
終戦連絡事務局の人間は俯いてしまった。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました