ワインと地中海#03/サントリーニからの遠望01
なにがきっかけだったろうかレバノンの話をしているときだった。
「フェニキアってレバノンにあったの?」と嫁さんが言った。
サントリーニSantoriniの北端イアOia村にあるエスペラス ホテルEsperas Santorini Hotel(Oia 847 02)にいた。
遅い朝食を部屋の前のテーブルでしているときだった。毎朝、スズメがやってくる。僕がバケットを千切ってテーブルの横へ置いているところだった。
スズメは人怖気もせずに食べていた。
「ん。レバノンはその中の一つだ。フェニキアPhoeniciaは複数の都市国家集合体だった。でも始まりは地中海東岸レヴァント海岸北側だったはずだよ」
「サントリーニもでしょ?」
「ん。最初に町を作り始めたのはフェニキア人だろう。大爆発の前だ」
いまのサントリーニ島は、見事に三日月の形をしている。3500年前に大爆発があって、島の2/3が吹き飛んだからだ。その大爆発で陥没した島の崖淵が西側に続いている。高さは2oom程だろうか。僕らはその崖淵に建てられたホテルへ宿泊していた。
「レヴァントにはフェニキアの街が4つ大きいものがあった。ティルスTyre/シドンSidon/ゲバルGebal/バールベックBaalbekだ。
どれもがBC3000年ころから形成され始めてBC2500年くらいには国家として自律していた。
ティルスTyreはベイルートから海岸部南へ80kmくらい行ったところにある。シドンSidonはベイルートから海岸部南へ40kmくらのところだ。
ゲバルGebalは逆にベイルートから海岸部北へ40kmくらい行ったところにある。ビブロスByblosとも呼ばれてる。バールベックBaalbekは東南内陸部に100kmくらい行ったところだ」
「行った?」
「ん。何年か・・かけて」
「わたしは行ってないわ」
「ベイルートは素晴らしい街だよ。治安も今はさほど悪いわけではない。敢えて君を連れて行かない理由があるわけじゃないんだが、プライオリティはそんなに高くないと思うんだ。一緒に行くなら他に行きたいところが有る・・という感じだ」
「でも、レバノン料理は好きよ。ロンドンでも一番好きなのはレバノン料理だし」
「まあ、そのうち・・ということで。国立博物館Musée national de Beyrouthが再開したら行こう」
「りょうかい」
それにしてもレヴァント海岸の遺されたフェニキアの街は二人だけで歩くのは難易度が高い。もし出かけるならベイルート・ザイトゥナ湾に並ぶレストラン歩きくらいかな・・と思った。
「海洋民族で交易民族だったフェニキア人は『紫の民』と呼ばれていたんだよ。当時、メソポタミアの王族は紫色に染められた服を着ていた。紫は王の色だった。その紫の染料はティルスが作っていたんだ。ティリアンパープルTyrian purpleと言うんだ」
「知ってる。アッキカイの鰓下腺でしょ?ロイヤルパープルRoyal purpleよね」
「ん。まさに王のための紫だ。プルプラという。生産量は僅かだ。美しい紫色なので太古から高貴な者だけのものものだった。ギリシャ人はこの紫の染料をフォイニケスPhoinikesと呼んでいたんだ。フェニキア人の名前はこれが由来だ」