石油の話#13/植民地には自立自尊の機運が遅からず現れる
さて。砂漠に滲み出る大地の血を我が物にしていた欧米の吸血鬼/セブンシスターズたちは如何ほどの利益を自分たちのモノにしていたか??
例えばサウジアラビアの場合。原油FOB価格が1.70~1.90ドル/バレルであるのに対して、各王族に払っていたのは21セント程度だった。イランで起きた動乱は、彼ら王族に「我らはもっと貰えて当然である」という意識をもたらした。しかしその王族自身が砂漠の地で「我らこそ正当な王」と標榜できるのは、英米の武力によってその利権が守られていたからである。それでも愚図れば、黙らせるためにそれなりの甘いキャンディは必要になる。英米は嫌々ベネズエラに続いて1950年、利権折半方式を導入し、同地を支配する(させてもらている)王族の取り分を約4倍に増やした。これに同じくして、1951年ムハマド・モサデクMuhammad Mossadeghがアングロ・イラニアン石油会社の国有化を断行したわけである。
しかし、イランの石油国有化を成功させた(親共な)モサデク政権は脆弱だった。おおきな理由はアイゼンハワーが、台頭するソ連に対して、膨大な利権である「アラビア半島/ペルシャ湾」の間にある唯一の国家であるイランを「対ソ北防衛線設置構想」の一部として、きわめて重要な地域であるとしたからだ。
アイゼンハワーは、英国を巻き込み、反共だった軍イラン部に膨大な資金投下を行い、クーデタを仕掛けた。そのため1953年モサデグ政権は倒れ、パフレヴィー2世の専制政治が復活、国際石油資本セブンシスターズとの合弁会社がイランの油田40%を管理することになった。
こうした英米の動きにソ連が反発した。それに対抗するため、当時イスラエルと友好関係にあったイラン軍部に対して、さらなる資本投下を行ったが、これが結果としてみると国家として歪な形へイランを変質させてしまった・・といえよう。イランはムリな傀儡的独裁体制国家と化してしまったのだ。
こうした相変わらずの吸血鬼の跋扈に一矢を報いたのが、中東諸国を中心に結成されたOPECの創設である。砂漠に英米の傀儡として生まれた各国が自立意識を持つ時だとしたのがOPECだった。植民地にはいつでも自立自尊の機運が遅からず現れるものだ(70有余年の植民地時代を背負ったままの日本は?日本には??)
1960年に設立したOPECのメンバーは、イランを筆頭にして/アラビア/クウェート/ベネズエラだった。現在これがカタール/インドネシア/リビア/アラブ首長国連邦/アルジェリア/ナイジェリアに拡大化している。
そして1979年。イランイスラム革命が起きる。はじめて跋扈する英米吸血鬼から我が地を守ろうとする政権が生まれたのである。もちろん、その影には・・相変わらず共産主義の臭いがあるのだが。
このイランイスラム革命の指導者がホメイニである。そのホメイニを、テキサスの石油王の一族であるブッシュは「大悪魔」と呼んだ。そしてイランを「悪の枢軸」の一員と決めつけた。こうしてサッダーム・フセインの死刑執行までのドラマが作られていくのである。