夫婦で歩くシャンパニュー歴史散歩5-2-9/ドン・ペリニオンから見えるもの・シャンパニュービジネスについて#07
夫婦だけでフレンチレストランへ出かけるとき、我が家はその店のチョイスしたペアリングにすることが多い。以前は泡・白とグラスで頼んでボトルで赤と言うチョイスが多かったのだが・・年取ったからね。最後にボトル一本がきつくなった。
ワインリストから何を選ぶかはその時の料理のメニューを見てから決めるが、嫁さんとの食事はピノ・ノワールが多い。コート・ドールのものが多い。
逆に接待で顧客や知り合いと出かけるときは、逆にピノは選ばないことが多い。相手の好みに合わせる。ワインの喜びは思い出を共有する喜びだ。共に愉しんだワインは何年も何年も経ったとしても話題として残るのだ。したがって同じ人物と(それが接待であれ)共に同じワインを飲むと、時代の共有として強い絆を相手と結ぶ絆になる。これがワインの凄さだ。
ロジェにいた。嫁さんと二人だ。若いシェフの新鮮を楽しみに来た。彼は家内が御贔屓にしている。店そのものは、相変わらず並木通りに並ぶ飲み屋の、おねぇ様たちの8時までの同伴場所になっているので、オッサンたちはとんでもないのが散見しているが、席と席との間は広く取っているので目を顰めることは(ほとんど)ない。
ワインはDom Perignon Reserve de l'Abbaye1985を頼んだ。一択である。
「ドンペリ?それ同伴席への皮肉?」と嫁さんが言った。
「ちがうわい。今夜は全料理をシャンパンで通すんだ」
「ふうん、ロジェでねぇ。へえ、それもドンペリでねぇ、へえ」
シャンパンの凄さは、マリアージュに最強なことだ。パートナーとしてみると、前菜からメインまですべてにシャンパンは適応する。
だから、ワインはシャンパン一つと言うのも十分"有り"だと僕は思っている。だからときおり、その選択をする。
その日はワインリストを見て、それに即決した。
「l'Abbayeは修道院という意味だ。何種類かあるラインナップで、これだけがl'Abbayeという名前になっている」
「オーヴィレール修道院にあったモエシャンドン直販と言う意味かしら」
「そうはクレジットされていない。しかし、1985年だろ?リチャード・ジェフロワRichard Geoffroyが就任したものなことは間違いない」
「だれそれ?」
「モエのセラーの責任者だ。いまは引退してる。ある種天才としか言いようのない人だった。いまはVincent Chaperonと言う人に替わった。P2,P3が出るころになると新しいセラー長の真価が試されるだろうな。僕は間に合わないかもしれないが、君は間に合うよ」
「なに?P2,P3って?」
「ヴィンテージだよ。シャンパン・ドンペリニヨンは長期熟成型だろ?P2は澱を除去する前に13~15年寝かせたもの。P3は25年寝かせたものだ」
「へぇ、そんな風に分けているんだ。それにしても詳しいわね。それってクラブのおねぇ様向けの蘊蓄じゃないの?まあ、お詳しいのね~と言ってもらいたいネタじゃないの」
「なにいってるンだ!そんなことは・・ある」
「ばか」
「それにしても・・へえ、Dom Perignon Reserve de l'Abbayeねぇ、どうせならオーヴィエ村で呑みたかったわ」
「 Le Bellevueに予約したとき、問い合わせたんだけどな、ダメだった。シャンパン・ドンペリニヨンのストックは日本の方があるかもしれないな」
オーヴィレール修道院なんだが、モエ・シャンドンが買ったのは1833年だ。ジャン・レミ・モエにアドレーヌAdélaïde Moëtと結婚したマコンの貴族ピエール・ガブリエル・シャンドンPierre Gabriel Chandon de Briailleが買った」
「そんなに古くからオーヴィレール修道院はモエのものだったの?」
「それからも、ドン・ピエール・ペリニヨンの神格化に如何ほどモエが関わっていたかがよく判るだろ?」
「あ。また夢のない話?マーケット獲得話?」
「ん~実はね、オーヴィレール修道院は古文書も何もかもすべてモエのものになった。でもドン・ベリニオンが書いた直筆の手紙が出たくらいで大したものは出なかった。ほぉら見ろ彼がシャンパンを発明したんだ! という証拠はでなかった。後継者だったドン・グルサールが師にについて書かれた礼賛した文書だけだったんだよ。もちろん、彼が40年間以上研鑽した作業場は残った。一般公開はされていないが、特別招待された人には見せているそうだ」
「行かないの?」
「機会があればな。行ってみたい。
彼の残した手紙からも感じるが、真摯な真っ当な人だった。無駄な形容詞も装飾語もない。まさにベネディクト派らしい僧侶たった。もし・・今の彼の名声について、彼と話せたら・・きっと顔色を変えて首を振るだろうな?私が残した仕事はアッサンブラージュだけですよ。泡入りワインの研究をしたのは、如何に泡を効率よくワインから抜くかの研究の一端ですよ・・って。それと。どうやらね、彼はリムーの泡入りワインの存在を知っていたようなんだ。
リムーにはベネディクト派の教会がある。彼はオーヴィレール修道院在職中に、これを訪ねている」
「え~ドン・ペリニヨンはリムーのクレマンを知っていたの?」
「ん。当時はクレマンとは呼ばれていなかったがな。僕は泡が溶けたワインの可能性を知っていた。しかし、自分のワインをソレにしようとは思っていなかった。たしかに研究はしていたかもしれない。それでも後継者ドン・グルサールの崇拝話は相当割り引いて考えたほうがいい。第一、いま残されているドンペリニヨンの工場に残されていた遺品が、一体ドン・ペリニヨンが使ったのか、後継者ドン・グルサールが使ったのかも定かではない。
先達者を神格化させる話には注意した方がいいんだ。ローマのパウロが先例だ。彼はナザレのイエスをホントに神の子にしちまった。本人に逢ってもいないのにだ」
「はいはい。Dom Perignon Reserve de l'Abbaye。いつものドンペリより遥かに豊潤ね。セパージュが違うの?それとも熟成なの?」
「あ・え・・セパージュはピノ60、シャルドネ40のはずだよ。ビンテージによってブレはあるけどな」
「ふうん、お肉とのバランスもいいわね、グッドジョブだわ。これを選んだのは」
「あ・はい、ありがとうございます」