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星と風と海流の民#23/ラピタの地・バヌアツへ03

Warwick Le Lagon Resort & Spa(Elluk Road, Off Kumul Highway, Erakor Lagoon, Port Vila, Vanuatu)は、エラコーン湾に面している。部屋からはラグーンが見えた。そして群青色な湾の向こうに鬱蒼とした熱帯雨林が見えた。エラコーン湾は透明度が高い。白砂のビーチとサンゴ礁が浜辺まで続いてることがはっきりと分かった。

シンガポールとの時差は3時間だ。昼過ぎな頃なのでオフィスへ電話した。書類のやり取りをしようと思ったが、wifiがあまりにも遅くて断念した。夕食を一緒にしようと約束していたヤンが来た時に、その話をした。彼が笑いながら言った。
「ここに拠点を置いてるところは、どこも専用に通信回線を持ってるよ。ウチもある。もし必要なら、明日事務所へ寄った時に使ってくれ」
「いや、それほど重要じゃない。日常業務の一部だ」
「よかったら言ってくれ。まあ確かにこの国は独立を果たしたし、経済的な成長を目指してオフショア金融の道を走って、幾つもの銀行や金融センターが出来上がってはいるが、実態は開発途上国のままだ。絶海の孤島のままだ。だからこそ我々にビジネスチャンスがあるのだろうが」
「君はいつからこの島にいる?」
「オフィスが出来たのは昨年終わりだから、半年ほどだ」
「半年か・・}
「マイクがこの島に来たのは?」
「ずいぶん前だ。このホテルもWarwickの名前が付いていなかった。ただのLe Lagon Hotelだった」
「なるほど、バヌアツは、バヌアツは私が来てからも、どんどん大きく変わり始めているよ。一番実感するのは中国人が増えたことだな。この国は、15万ドルで市民権を販売しているからな。そのせいだ。インフラも中国資本が猛烈に流れ込んでるよ。中国人にとって、オフショア+市民権は魅力的だからな。ちなみにパスポートの販売は、この国のGDPの1/3だそうだ」
「1/3か。それはすごいな」

バヌアツがバヌアツ共和国として独立したのは1980年7月30日だった。バヌアツは、イギリスとフランスによって共同統治されていた。この統治のスタイルは1906年からでと呼ばれていた。英仏はこの島で夫々別の行政機関を持ち、法制度を持ち、別々の警察を持っていた。この二重統治は、常に混乱を招いていた。その体制を揺るがしたのは、第二次世界大戦とアメリカ合衆国が周辺の島々を統治国にしたことだった。これに乗じたのが英語圏の住民たちである。彼らが中心となって
独立運動が始まっている。彼らは社会主義的な方向を出していた。英仏に分かれて独立運動は分断したままだった。その中、1980年にタナ島で、急進的な分離独立運動が勃発した。これはフランスの後援を受けたもので、一時はバヌアツがに分裂しそうな勢いまで進んでいった。沈静したのは、時のバヌアツ政府だった。しかしこれが大きなきっかけとなって、バヌアツは、正式な民主主義国家として独立を果たしたわけである。

「金融を抜かせば、産業は農業/漁業/観光業だけな所だからな」ヤンが言った。
「それと、鉱業か?」
僕がそう言うと笑った。
「ああ。凄いよ。蹉跌で出来た半島だ。周囲の砂も蹉跌だ。それがそのまま沖まで続いている。ウチの調査によると、かなり広範囲まで広がってるそうだ。充分採算が合う」
「買った半島は、ムリクリ強引を通せば掘れるだろう。しかし海中はどうだ?政府の認可は取れるのか?」僕が言うと、ヤンは鼻で笑った。
「さっさとオフショア・ビジネスを始めた政府だぜ。皆さん、お金は大好きさ。豊かになるには観光業や農漁業だけじゃダメ、外資は必要だという事が正鵠に分かってる役人ばかりだ。それに・・」
「?」
「お偉いさんになるのは、英仏の血が濃い人ばかりだ。家に金が有ってソコソコの大学へ行った連中ばかりだ。どうすればこの国が豊かになるかが良く分かった連中だよ」
僕は黙るしかなった。


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました