ぎんざものがたり1-6/アーニーパイル劇場06
米兵向けの舞台を作ってほしいと米八軍民政担当から依頼されたとき、伊藤道郎が一番最初に考えたのは、和式ではなく洋式のバンドが必須だ、ということだった。そして彼らから、開催は東京宝塚劇場で行ってもらいたいと重ねて言われたとき、彼は「出来るか?」と一瞬逡巡した。少女たちを「らしく」仕上げることは出来る。楽隊は東京宝塚の専属で作れる。足りなければ街ばに声かければ集まる。・・しかしアレンジャーはどうだろうか?東京宝塚の専属を使えるのか?
客は少女歌劇を求めてはいない。大人の女性の演技を求めているのだ。それに相応しい音楽監督がいる。少しの違和感もなく米兵たちにジャズを紡げる譜面の書ける男が要る。既存の専属アレンジャーでは米兵を興奮させられない。
伊藤は熟考した。松竹楽劇団の服部良一か?彼なら出来る。しかし既に日劇がレヴューを始めていた。音楽監督は服部良一が担当していた。1945年11月に笠置シズ子を使ったショーが大ヒットしていた。これが1947年「東京ヴギウギ」に繋がっていく・・服部良一に替わる人間が要るのか?
そのときJabberKolgが事も無げに言った。
「紙恭輔がいるよ」
「紙先生が?」
「うん。紙恭輔はゼロアワーの音楽担当だったんだ。今は謹慎状態でいるよ」
ゼロアワーは、米軍向けのプロパガンダ番組だった。東京ローズがアナウンサーで合い間に流す音楽の選定を紙恭輔が担当していた。
「USOが声かければ、謹慎は無くなるよ」JabberKolgは笑いながら言った。
「たのむ!ぜひ」伊藤道郎が即応した。
このとき紙恭輔は43歳だった。小さなグループでの演技を主とする伊藤道郎は、紙恭輔に面識がなかった。しかしJabberKolgから彼の名前を聞いたとき、紙恭輔しかいない!と直感したのである。
数日後、宝塚劇場結城総支配人の部屋に、紙恭輔と伊藤道郎と結城総支配人が集結した。
紙恭輔は当時は稀有だった東大での音楽家だった。立ち振る舞いに品性が有った。終始微笑みを絶やさなかった。まるで刃物のように研ぎ澄まされている精悍な伊藤道郎とは異質の芸術家だ。
これが紙恭輔か。伊藤道郎は思った。
結城支総配人と紙恭輔は旧知の中だった。あいさつの後、伊藤道郎は紙恭輔にガリ版刷りのシナリオを渡した。紙恭輔はしばらくの間、それを熟読した。そして顔をあげて言った。
「少女を女性にする演出ですか・・」
「はい」いきなり核心をついた紙恭輔に伊藤道郎は心を震わせた。この人は本質を衝く!
「あと・・40日程度ですか。リハは最低4日いりますね。・・となると16日ですか・・これから音楽家たちの時間を頂けますか?技量を知りたい。足りない分を埋めないといけない。3000人の箱ですから、それなりの設えは必要です」
伊藤道郎は身体を硬直させた。
「何かほかに音楽側で必要なものがありますか?」結城総支配人が微笑みながら言った。
「いえ。とりあえず使えるタマがみたいです。使用する演目は・・伊藤道郎さん、私に任せていただいて宜しいですか?」「はい!!もちろん」
「申し訳ないんですが、・伊藤道郎さんのスタイルをまったく存じ上げていません。何回かリハーサルを見させていただきながら、演目を提案いたしますので、その場で決めましょう。・・そうですね、10日で・・叩きを仕上げます。そこから当日までに最終稿に仕上げます」
「ありがとうございます!」伊藤道郎は立ち上がると紙恭輔に最敬礼をした。
「やりましょう。すばらしいもを」紙恭輔は微笑みながら言った。