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コリョサラムGoryeo saram#05/アゼルバイジャン・バクーにて#05

ロシア革命は、レーニンがタナボタで手に入れた利権だった。時折歴史の女神が見せる悪戯だ。                                                                    
しかし「ロシア」を手に入れてはみたが・・である。「共産主義」は経営のための原動力とするにはあまりにも机上の空論だった。レーニンは瞬く間に国家経営に行き詰った。・・ロシアは深刻な飢饉に陥っていった。幾つもの内戦が各地で始まり彼の目指した中央集権制は崩壊寸前まで至った。その危機の中で、スターリンが書記長に就任したのだ。1922年4月だ。
彼が最初に仕掛けたのは、共産主義とは縁のない一般労働者を大量に入党させることだった。入党することの利を強く前面に出して、彼は党の拡充を目指した。これが成功した。理念より具体的な利を説いたのだ。
その「理」をより明快化させるために、スターリンは、富農kulak清算運動(カンパニア)を、より強く推し進め「すべての悪の根源はクラークにある」とした。クラークとは、買占人・不正仲買人・高利貸などを意味したロシア語で、裕福な農民・富農・農村ブルジョア層を指す。
しかし実際問題としてスタリーンが言うほどの「富農」は、すでにその頃には存在しなかった。1917年のロシア革命によって地主階級は完全に粛清されており、自作農家(フートル農、オートルプ農)もほとんどが消えていたのである。もともとロシアの農奴制は、税と土地の再分配に連帯責任があったため、土地は「農村共同体のもの」という色合いが強かったので、独立した資産家としての農家はロマノフ時代でも10%に満たなかったのだ。
スターリンが「クラーク!」と決めつけた「豊かな農民」でも、平均7人家族として牛を2〜3頭所持と10ヘクタール以下の耕地しか持っていなかった。そしてその豊かな農民でさえ、貧しい農民の1.5倍程度の収入しかなかったのだが・・スターリンは彼らを粛清した。
なぜ必要だったか?第一次五カ年計画の期間である。


ロシアは立農国家である。工業化は欧州に対して圧倒的に劣っていた。そして同時に農業という部分でも因習性を引きずっており新しい技術は殆ど取り入れられていないまま生産率はそのまま中世のものとほとんど変わらなかった。
実は・・共産主義者は農家を憎悪している。例えばだがプレハーノフは農民を「残酷で無慈悲、野蛮」な「荷物を運ぶだけの動物同然」だと非難している、レーニン自身も農民は「浅ましいほどに利己主義的である」と言っている。最も理知的であり扇動力をもつ作家ゴーリキーは、農民は「粗野で愚鈍な、人口のふくれあがって」おり、いずれは死に絶え、「教養ある理性的でエネルギッシュな人々が彼らにとって代わるだろう」と蔑んでいる。彼ら蒙昧傲慢な農民は根絶されて「教養ある理性的」な共産主義者によって営まれる未来社会へ進むのがロシアの未来だと言っている。
工業労働者は理知的で規律正しい共産主義者であり、農業労働者は「動物的な利己主義」と「文盲の農村」がロシアの進歩を妨げていると非難している。ちなみにフルシチョフはスターリンについて「彼にとって農民は屑だった」と語っている。

こうした「蒙昧化未開のまま」のロシアを、先進的な有業技術と理知的な工業技術者を育てるのが第一次五カ年計画だった。
かなり強引な人事配置と洗脳化再教育を強制的に実行したのがレーニンであり、これをさらに進めたのがスターリンだったのだ。
1925年5月、スターリンは「ロシアにような後進国でも完全な社会主義を実現できる」とする一国社会主義論を唱え、金属工業を現代産業社会の基礎として重視した。しかし農家からの強い不満と抵抗があった。事態は遅々として進まない・・結局のところ、農家そのものを解体させる。それしか方法はないと・・スターリンは考えた。
1929年11月7日「偉大な転換の年」総会において、スターリンは「全農民はいまやコルホーズに入りつつある」と全面的集団化を図る宣言を行った。そして「抵抗するのはクラーク」であり、クラークは「最悪の敵」だとした。さらにクラークはコルホーズに入れることはできないとした。実は、文盲率が比較的に低い彼らがコルホーズに入って彼らが指導者になることを恐れたのだ・・いつでもスターリンは疑心暗鬼の塊だった。・・さらに1929年12月27日、彼は農業集団化を加速させるために「富農(クラーク)をひとつの階級として絶滅させる」と宣言している。
・・クラークは
1)反革命活動に従事したクラークは強制収容所に送る、または死刑
2)それほどではないが反抗的なクラークは極北、シベリアに送る
3)ソヴィエト権力に従順なクラークは地区内追集団化による農業へ
とされた。


スターリンにとって「農業集団化に抵抗した農民」は、すべてクラークである。彼らは何百万人も極北やシベリアの強制収容所グラグに強制移住させられた。その死亡者は550万人以上で殆どが強制収容所で亡くなった。その恐慌に怯え「自分をクラークではない」とするために、農家は畜産を捨てた。1928年から33年までに牛馬は半減し、羊/山羊は1/3になった。クラークではなくとも、人々は飢餓に陥った。
それでもスターリンは強制調達をやめず、1932年から1934年にかけてウクライナ、北カフカース、ヴォルガ流域、カザフスタンでも飢饉が発生し、数百万人が犠牲となっている。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました