悠久のローヌ河を見つめて08/アルル02
アルルは二つのローマ街道が交差する町でもある。北へ上る道は深くガリアの民の懐へ向かって走り、東西に走る道は、東はアルプスへ、西はスペイン/イベリア半島へ走っている。ローマ人はこの道を使って地中海を西へとその領土を広げていた。
当時スペイン/イベリア半島は、北アフリカ経由で同地へ辿りついたフェニキア人たちが生活する地だった。ジブラルタル海峡に寄り添う町カディスは彼らの都市である。現在のアラゴン州辺りで育てられている葡萄は、彼らが北アフリカ経由で持ち込んだものだ。アララトの麓から出発した葡萄の「偉大なるセンチメンタル・ジャーニー」は、地中海を挟んで北岸ルートと南岸ルートに分かれて西進したのである。
北岸ルートで伝搬した葡萄はエーゲ海を抜けイオニア海を抜けイタリア半島へと進んだが、そこから先の海はあまりにも広い。葡萄はシシリーやサルディーニアあたりまでで止まっていた。地中海北岸に沿って、それ以上西進しなかったのは、アルプスにぶつかって反転し北から吹き付ける風(ミストラル)のせいである。彼らが携えていた葡萄は温暖種で、その時には瞬時に10度も気温を下げてしまう烈風には耐えられなかったのだ。
しかしローマ人が西進し紀元前4世紀頃、現在のスペインとの国境に近いナルボンヌに自分たちの城塞都市を築いた時、そこには葡萄が有った。原スペイン人であるフェニキア人とピレネー山脈南端に生きていたガリア人たちが細々だが葡萄の木を育てていたのだ。彼らの葡萄はアラゴン州辺りで地元の葡萄と交配された、ある程度まで寒さに耐える種類だった。ナルボンヌに移植したローマ人たちは、これを利用した。
カリニャン、ムールヴェードル等の原種だ。グルナッシュはまだない。もう少し後代になる。
カリニャンは、スペインではカリニェナと呼ばれている品種である。ムールヴェードルはモナストレルと呼ばれている。そしてこれらイベリア半島から東進したぶどうからサンソー(Cinsaut)が生まれた。
サンソーは今でも、南仏では極めて大量に植えつけられている品種だ。乾燥地に強く、芽吹きが遅いので春遅く目覚め、そのうえ遅霜にも強い。
ローマは、退役した軍人たちに「市民権」と「土地」と「資金」を与えた。
ピレーネ山脈に近い欧州/地中海最西端のローマの属州ナルボネンシスが最も早くから栄えたのは、この制度のおかげである。ローマは、ローマのために戦って生き残った人々には、人種に関係なく「市民権・土地・資金」を与えたのだ。そのため、多くのガリア人たちがこの地に自分の土地を得て葡萄を植えた。現在のコルビエール、ミネルバ、コート・ド・ラングドック辺りである。
何回か書いているが、ワインは北の民そして北方奥深い地に居るガリア人と交易する際の貨幣だった。その貨幣(ワイン)は当初イタリア半島で作られ艱難辛苦して、北へ運ばれていたのだが、ナルボネンシス周辺で生産されるようになると、一気に交易用のワインは同地の専有物になってしまった。そのニーズに応えるために、葡萄の作付面積は拡大し、横へ横へと広がって行った。こうしてラングドック・ルションは広大なワイン生産地へ発達して行った。