日本国名の由来を追って#04/日本書紀・古事記は何を原典として編纂されたのか
続いて中国王朝史書に出てくる「倭国」中、東海の島にある倭を指しているであろう文献を挙げてみる。
『晋書』中には二か所ある。西晋泰始2年(AD266)安帝紀・東晋義熙9年(413)倭国から貢物が有ったと書かれている。そして『宋書』『南斉書』『梁書』などにに登場する「倭の五王」へと繋がっていく。
倭の五王とは、讃(さん)珍(ちん)済(せい)興(こう)武(ぶ)の5人の王を指す。
『宋書』に425年讃が。438年に讃の弟珍が( 『梁書』はこれを弥と書く)続いて443年と451年に済が。そして462年に済の子興が。478年に興の弟武が貢物を届けたとある。
すべて中華風の一文字の名前なのは、おそらく記述側の問題だろう。卑弥呼のようにYAMATO名でないのはわざわざ正確に名前をするに価さないと判断したからかもしれない。
この五王について日本の記紀学者の中に、日本書紀内で登場する天皇の名前を充てようとする人々がいるが、ほとんど当て字ごっこに終始しており確証のあるものは残念ながら殆ど無い。
王朝系譜で、日本側で確認されている最古のものは埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣銘文で
表面に
「辛亥年七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比」
辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。
裏面に
「其児名加差披余其児名乎獲居臣世々為杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也」
其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。
とある。
8世代にわたる系譜が彫られている。
最初に記されている辛亥年は471年というのが定説だ
この中に登場する名前を、記紀内にある名前と関連付けようとする学者も多いが、残念ながらこちらも確証には至ってない。
何しろ比較するにも記紀二書しかないからである。傍証が取りようないというのが実態だ。
・・となれば、記紀の成立過程について疑問が出てくるのが当り前だろう。
日本書紀・古事記は何を原典として編纂されたのか???・・である。