パリ・マルシェ歩き#20/マルシェ・クベール・シャペル04
マルシェ・クベール・シャペルの横をオリーブ通りという歩行者専用道がある。僕らはその通りを挟んだ前にあるLe Commerce(11 Rue de l'Olive, 75018 Paris)にいた。外のテーブルは皆マルシェの帰りに寄った人たちばかりだた。観光客は僕らくらいなもンだった。
「この通りはマルシェ通りというんだ。パリ革命で焼失するまでは、Rue Marx DormoyとBoulevard de la Chapelleのところにサンドニ礼拝堂Chapelle Saint-Denisというのが有った。この礼拝堂からサンドニ市にあるサン=ドニ大聖堂Basilique Cathédrale Saint-Denis(1 Rue de la Légion d'Honneur, 93200 Saint-Denis)まで10kmほどの巡礼道があった。レンディットの市Foire du Lenditはその道沿いで開かれたんだ」
「あ・わかった。マルシェ・クベール・シャペルという名前は教会のLa Chapelleなのね。シャペルの巡礼の道にひらかれていたからだったなのね!」
「ん。そのとおりだ」
「でも、ムカシはレンディットの市Foire du Lenditだったんでしょ?レンディットってなに?」
「サン=ドニ大聖堂のあるサンドニ市を、中世はLenditと呼んでた。だからレンディットの市Foire du Lenditだ」
「へえ~町の名前は消えちゃったけど、市の名前として残ったのね」
「黒門町は消えたけど、黒門小学校は残った‥それと同じだ。
レンディットの市Foire du Lenditは、1100年代から始まって19世紀の終わりまで有った。最盛期は1300年代で、その後はどんどんと凋落して、1800年代の頃にはサンドニのお祭り・お縁日の時にでる蚤の市程度までになってしまったんだ。そこに新しいマルシェを作られたのが1886年。最初から屋内式だった。当初、食肉市場として建築されたんだよ」
「食肉市場?」
「ん。パリの北東部にラ・ヴィレット地区というところがある。19区の環状道路の傍だ。ラ・ヴィレット公園Parc de la Villetteがある辺りだ。パリ市立科学産業博物館Cité des sciences et de l'industrieがある辺りだ。そこにパリの食肉市場があった。いまでもラ・ヴィレット公園は大きいだろ?その広大な広場に牛や羊、豚、兎とかの飼育小屋が幾つもあったんだ。『ラ・ヴィレットの太った牛の市場Marché aux Bestiaux de la Villette』と呼ばれていてね。ー、屠畜場も食肉処理場も併設されたフランス最大の精肉エリアだった」
「いまはないでしょ?」
「20世紀の初めからパリは急速に広がったからな。ラ・ヴィレットの太った牛の市場は臭いし汚いし、あの辺りを治安のよくない地域にしていた。それなんで1974年に閉鎖されて無くなった。その跡に出来たのがラ・ヴィレット公園だ」
「九龍城寨が無くなって、その跡に九龍城砦公園ができたのと同じね」
「ん。マルシェ・クベール・シャペルは1866年に、その分店として作られたんだ。でもそれ以前に、実はレンディットの市の近くに食肉市場は有ったんだよ。資料を調べると『乳牛と太った牛の市場』が毎週火曜日、ボン・ピュイ通り11番地にあるジャメの家で開催それていたとある。『豚の生市場」も毎週木曜日、やはりボン・ピュイ通りの角からトゥルネル通り8 番までの広場で開かれていたそうだ。だから潜在的な集客力は有った」
「それが統合集約されたのね」
「その通りだ。それに、凋落はしたけど古い歴史を持ったレンディットの市の場所だからな。このマルシェは瞬く間に成功した。此処が精肉だけではなく他の食品を取り扱うようになったのは第一次世界大戦後でね、いまの形はそのころに形成されたんだ。そして第二次世界大戦後1958年に大きな修復がされて、2010年にも大きな修復がされて今に至る・・という感じだ。建物の入り口を全てガラス張りにしたのは2010年修復時だ」
「長い歴史があると、本当に紆余曲折があるものにのねぇ」
「そうだな。いまは北アフリカや中東系のエスニックなデリ、イタリアやポルトガル系のデリが目立ってる。パリが多民族都市なことの象徴だな。その間を近在の農製品を置く食料品店や花屋。そして昔からの肉屋、チーズ屋が並んでいる」
「歩いている人も、生粋のパリジャンじゃない感じだし・・じつはこれが今のパリそのものを表しているのかもしれないわね」