ワインと地中海#20/ヒッタイトのワイン03
降りそぼう雨の中、グランドキャナルを走るフェリーバスに乗った。リアルド橋の近くにあるレストランへ食事に行くためだ。まだ霧が漂ったままでいた。サンタクローチェのはずれにTrattoria alla Madonna(C. della Madonna, 594, 30125 Venezia)というシーフードの老舗がある。さすがに魚市場に近いところだ。ランチも確実に席が取れる要予約がいい。https://www.ristoranteallamadonna.com/
テーブルに着くと様々な魚介類を煮込んだ大きなボウルのような皿が出た。これが実にうまい。
「ヴェニスの料理は、いつでもイタリア料理らしからぬ旨さだな。ヴェニスはやっぱりイタリアじゃない。ヴェニスという国だ」
僕が言うと嫁さんが笑った。
「そこまでヴェニスが好きなら、ここで暮らせばいいのに」「だな。来るといつもそう思う。
ベニスなら 逝っても良いと 思う旅
つて川柳を詠んだ事ある。でも‥下句もつけた」
「なにそれ」
「み月もいれば 帰りたくなり」
「・・勝手なもンね」食事をしながら話を続けた。
「前職の頃。何回もキプロス通いをしてた時があったろ?」
「20年以上前ね。子供たちがまだ小学校の頃・・。シンガポールにいたころね」
「ん。週平均就労時間130時間時代だ。仕事するか・寝るかの時代だ。出張でキプロス通いは好きだったんだよ。いつも仕事の後は、勝手に一週間ほど休暇をくっ付けていたしな。地中海東側にどっぷりハマっていた頃だったから、そこいら中を歩き回った」
「まだ40代で体力有ったから・・じゃないの?今はそうはいかないでしょ」
「はは♪そりゃそうだ。でも、老いることはそうそう悪い事じゃない。錬れるということだからな。老けなければいい。老いることは生きる道のひとつだ。
・・あのころ、キプロスの帰りにレヴァント海域の街を歩き、クレタを歩き、アナトリアを歩き、北アフリカを歩いたとき、同じ頃たまたまベイルートからカイロへ飛ぶフライトに乗ったんだ。そのとき機上から見た海岸線で痛感したんだよ。カナンとエジプトは隔絶しているってね。いくら飛んでも窓から見える景色は荒野ばかりなんだ。こりゃ、ここを陸路で結ぶ交易は至難だ・・ってね」
「機上からだったの?ベイルートからカイロまでは、陸路にしなかったの?いつもなら使いそだけど」
「イスラエル側を走ってる国道232とエジプト側の国道40とは繋がっている。行けないことはないが、行ってくれるナピケータが探せない。スエズ危機は今でも大きな傷だ」
「あ・やっぱり行こうとしたのね」
テルアビブから国道4号を通っていけば232に入れる。ニッツァンの近くだ。キブツkibbutzのこと知ってるだろ?」
「ええ。共同生活・共同子育てをするグループでしょ」
「ニッツァンには初期のキブツが有った」
「行ったの?」
「ん・・その話は止めよう。で・・そのとき、機上から荒野を見つめた時、思ったんだ。エジプト王朝は終始自己従足的だった。それでもレバント杉やエジプトで採れない鉱物は欲しかった。とれば、海上交易しかないな‥とね。フェニキア人の台頭を望んだのはエジプト人だろうってね」
「なるほどねぇ、フェニキア人が居たから海上交易が始まったわけじゃなくて、エジプトは海上交易が絶対必要だったら、フェニキア人が現れたわけね」
「そうだ・・と確信した。空からあの荒野を見つめてね。チグリス・ユーフラテスで発生した文明とナイル川に発生した文明が、同じように集約化した灌漑技術を背景にした立農国家でありながら、なおかつ地理的に近しい場所で有りながら・・交易も侵略もほとんどない。あれほど断絶している理由を、空から実感したんだ」
「それこそ‥鳥の目というものね」
「それと、レヴァントの海岸にポツポツリと広がる都市やアナトリア側にある一つ一つが隔絶した都市を空から見つめていると、これらの都市を連結して、ひとつの国家として管理するのはむずかしかったろうな・・と思った。結局のところ、ヒッタイトもアッシリアもギリシャも、交易による税の徴収は行っても、総括的な支配まで行かなかった。自律性に任せた理由がよく見えるような気がした。海の民ルウィに襲われた海岸都市が荒廃したまま100年も200年も放置される理由も・・なるほどな、と思う」
「陸路の連携が無いから統治しにくい、ということ?」
「ん、そうだ。それぞれの港が都市国家的だった。その形態はギリシャの都市国家集合体に繋がっていくように思う。
それでも・・ラオディケイアLaodiceaのような立派な交易港も有った。ストラボンの『地理誌16巻2-9』に出てくる。シリアのラタキアだ。ストラボンは『ラオディケイアの里はブドウがよく実り、アレクサンドリアで消費されるワインの第一の産地だ』と書いている。『葡萄園はなだらかな山の斜面に広がり頂上までのほとんどを占め、さらに山を越えた東のアパメア付近にまで広がっていたと』とね」
「どの辺にあるの?」
「レヴァントの北だよ。ダマスカスからは350kmくらい、アレッポからは200kmくらい離れた地中海東岸に面した半島海岸にある。同地のトランジット貨物港としては最大級だ。地中海を渡って来たコンテナは此処で降ろされて西アジアへ運ばれていく。栄枯盛衰は有ったが今でも機能している港だ。前々職のときに引き渡しの立ち合いとして行った。30年以上前だ」
「その町からワインは地中海を通して売られていたの?」
「ん。そうだ。少し離れたところにオロンテス川Orontesというのがある。アル・ミナAl-anaという町が有った。オロンテス川は地中海海域と西アジアを結ぶ大動脈だった。フェニキア人はこの水路を使って通商していた。ちなみに南北に流れるオロンテス川がレヴァント/アナトリアを繋ぐ希少な陸路でもあった。・・実は1987年にトルコ、ウルブルンUluburunで東海岸で難破船が発見されたんだ。BC1300年ころに沈んだ船でね、現在発見されている世界最古の沈没船だ。保存状態が良くて、船内には、銅や錫の交易用鋳塊、同じく交易用の松脂そしてワインが積まれていたんだよ。当時の新聞におおきく報道されていた」
「あなたがまだドイツの会社にいたころのことでしょ?」
「ん。どうしても現場に行きたくて、すっ飛んでった。なにしろレヴァントの海に遺されたフェニキアの残滓だったからな。絶対に行くしかないと思って・・まあ行けばなんとかなると思ってすっ飛んでった」
「なんとかなったの?」
「ん~なんとかはならなかった。でもアンタルヤはローマ時代の香りがはっきりと残る街だった」
https://www.youtube.com/watch?v=HCxZTEK3z_c