夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#13/シャトーヌフ・デ・パプ03
https://www.youtube.com/watch?v=J2VEy1imtqQ&t=13s
まるで民宿のような雰囲気のChâteau des Fines Rochesだが、レストランは並みのオーベルジュを超えていた。工夫が光るメニューが色散りばめられていた。ワインはここの畑で作られているワインが自由に選べた。
満足度は高い。
宿泊客は僕らをいれて三組だった。どちらも壮年より上・・という感じだった。落ち着いて素晴らしいレストランだ。
「この白。個性的ね」と嫁さんが言った。
「グルナッシュ・ブランGrenache Blancだ」
「グルナッシュで白ワインが作れるの?」
「スペインで生まれた突然変異種だよ。向こうではGarnacha blancaというがAlicante blancaとかBelanなんて言うのも地域によってはあるな。バルセロナで呑んだよ」
「憶えてない。バルセロナじゃレモンビールのドラフトだけ憶えているわ」
「ああ、あれでオルホOrujoを割ると美味かった」
「ホテルのバーマンが笑ってたわよ」
「でも美味かった。・・このGarnacha blancaをピレネーからフレンチ側に持ってきたのは、ヒスパニアとの戦争に参戦した傭兵たちだ。彼らは退役するとローマ市民権と幾ばくかの金と土地を貰えただろ?その土地にイベリア半島から持ってきた葡萄を植えたんだよ。だから西地中海で生産されている葡萄の大半はスペインから渡って来たものが主体なんだ」
「東から持ち込まれた葡萄じゃなかったの?」
「当初はね。アルヴェルニ族Arverniやアロブロゲス族 alóbrogesはプロヴァンスをかなり深く西進したからね。しかしローマは彼らが西地中海に拡散することを許さなかったんだ」
「どうして」
「西地中海はギリシャ人の植民地が早くから有ったという話をしたろ?ローマもそれを踏襲してイベリア半島との交易中間地点として大いに利用していたんだ。カディスあたりの銅山から大量にそれを買っていたからな。もちろん、ローマは貨幣としてワインを使っていた。イタリアからワインを乗せてマッセリア・・いまのマルセイユとかナルボンヌに途中停泊してスペイン半島へ向かっていたんだ。だからアルヴェルニ族やアロブロゲス族みたい連中の拡大は許さなかった」
「だれ?アルヴェルニ族って?聞いたことない名前だわ」
「欧州中央部に大きな勢力を持っていたケルト人だ。とてもおもしろい人々で、話すると長くなる。まあ、ここではヨーロッパ中南部も彼らの勢力圏だったという話だけにする」
「はいはい」
「BC125年に第一次アルプス戦争というのが有ったんだ。ローマの将軍クィントゥス・ファビウス・マクシムスが彼らの征伐に出ている。そのときのアロブロゲス族の王はビトゥイトゥスという人物でね、マクシムスに大敗してるんだ。この功績で、マクシムスはアロブロギクスAllobrogyxと呼ばれるようになってる。この戦争の大敗でアルヴェルニ族もアロブロゲス族も大幅に弱体化してるんだよ。ガリア・ナルボネンシスはこの後、ローマの最初の属州ガリア・ナルボネンシスになったんだ。BC121年だよ」
「よ~するに、東から葡萄を持ってきたアロブロゲス人はもう弱体化していた・・わけね」
「ん。それと第二次ポエニ戦争が始まってる。ローマはイベリア半島に兵隊を無数に出兵させていたんだ。陸路は地中海北側沿岸だよ。ローマによる安全は必須だ。兵隊さん、安心して戦争しにいかなくちゃならないからな」
「安心して??」
「カエサルのメークアマネー『ガリア戦記』を挟んで、西地中海は、イタリア本土の次に最もローマ化された地域になっていったんだよ」
「なるほどねぇ。その面影がこのワインにあるわけねぇ」
「そうです。ワインは歴史の影が翳されたものなんだ。だからでっち上げワインはダメダメということ・・」
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました