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ボギーのトレンチコートの話をしよう#01

雨の朝でも目が覚めれば街へ出る。自分の机ですればいいのにね。習慣になってるから、そう簡単に変えられないもンなんだ。夜明けまでNetfilxで嫁さんと映画を見ても、目覚ましなしで定刻に目が覚めるのは、前職時代に身に附いた哀しいクセだ。
で。ノソノソと起きだして窓の外を見た。・・雨。それから洗面台に立った。
そして歯を磨いているとき、唐突にこんな言葉を思い出した。
「目をさますと、口の中が自動車工の手袋を押し込んだみたいだった。」
・・あれ?誰の言葉だろう。思い出せない。
それこそ「自動車工の手袋」が喉に引っかかったままみたいだった。

パリのトゥールジャルダンで購ったバケット用の大きなトートバッグに、資料の本とPCを入れて、傘差しながらアパートを出たときも、ずっとそのことを考えていた。
誰だったかな?
こうなると銀座の店のテラスへ着いて、テーブルに座っても仕事が始まらない。コーヒー片手に考え込んでしまう。

そのとき、雨外套を着た巡査が目の前を早足で通った。すぐさまこんな言葉が浮かんだ。
「雨は歩道のはずれのみぞにあふれ、膝の高さまで跳ねた。銃身みたいに光った雨外套を着た大きな巡査が、げらげら笑う女の子たちを抱いて水たまりを越させ、大いに楽しんでいた。」
判った。「大いなる眠り」だ。
創元社の浅黄色の装丁のアレだ。翻訳は双葉十三郎だった。
門前仲町成田山赤門の斜前にあった古本屋で買った。懐かしいな。あスこには本当にお世話になった。きっと岩波文庫は200~300冊くらい、あスこで買ってる。早川の銀背のポケット版SFシリーズそして創元社の奴。ときおり新潮文庫。新潮は仏文系の翻訳が強かったから、アレも良く買った。
「都市と星」「宇宙の戦士」「明日泥棒」「深夜プラスワン」・・などなど、全部あスこで買ったなぁ。
全部、装丁から活字の形まで憶えている。

本は、一冊ずつ違うものなんだよ。王子様の星に流れ着いた薔薇が、薔薇園の薔薇たちと違うようにね。同じ本だって、自分と寄り添って生きてくれた本じゃなければ、何もかもそっくりだって、何かよそよそしいもンさ。
いつも僕のデニムのポケットに入っていて、しまいには曲がってボロボロになった「大いなる眠り」は、僕といち時代を共に生きてくれた「大いなる眠り」だ。
・・「小鳥たちはきらきらと輝く梢で、雨のあとの歌を夢中でさえずり、芝生はアイルランドの旗みたいに緑だった。地所の全体が、十分前にできたみたいに新鮮だった」
ほらね。憶えているだろ?

同じ創元社で出ていたものには、こんなセリフも有った。
「丘の下で自動車の音が聞こえた。しかし、火星の音のように遠く、ブラジルの密林の猿のなき声のように意味がなく思えた。」
「パイプに煙草をつめると、ゆっくり火をつけてから部屋を出て、イギリス人が虎狩りから帰ってきたときのように悠々と階下へ降りて行った。」
「かわいい女」の中のセリフだよ。フィリップ・マーロウものの五冊目だ。
一人称で書かれるフィリップ・マーロウの独白は何れも比喩に満ちていて、10代後半20代の頃はそれだけが独立して心に刻まれた。ジジイになって、靴底みたいに硬くなった心の奥に押し詰められたはずなのに・・それでもこうやって時折鮮々と噴き出してくる。レイモンド・チャンドラーは偉大だ。

ところで。
映画でとなると、定番はボギー&ローレン・バコールなンだが、僕はロバート・ミッチャムとシャーロット・ランプリングの「大いなる眠り」が好きだな。リアルタイムで、NYCのボロ映画館で観たと云うこともあるけど、初めて見た時はあのイントロに心が蕩けたね。
古ホテルの窓に映るネオン。道路を見下ろすマーロウの憂鬱な表情。そしてラジオから流れるデマジオの試合。その奇跡の試合が、何も説明なしに、あの映画の時代設定を示していた。
僕は鳥肌がたったね。
ほんとうに素晴らしかった。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました