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銀座新古細工#06/らく町散歩道

有楽町駅前の交通会館が見すぼらしいほど老朽化している。
午後の散歩で、その前を通りながら、此処に有ったスシ屋横丁のことを考えた。地下の飲食にも、そろそろ直系の利権者は居なくなってかもしれないね。

子供の頃、佃の我が家では犬を飼っていた。犬の散歩は僕の仕事だった。
まだ佃大橋がなくて、新佃と月島の間には佃掘りが残っていた。それが町を別けていた。佃小学校は月島側にあった。
放課後、木造の橋を渡って家に帰ると、一番最初にするのが犬の散歩だった。犬を連れて遊びに出る。遊び場は、たいてい新佃と佃の境目にあった三角公園だった。

だけど土曜日は、よく日比谷公園まで犬と行った。途中でチョーシヤのコロッケパンが買いたかったからだ。「日比谷公園行く」というと、母がコロッケ・パンを買う分のお金を、小遣いに足してくれた。だからときどき「行くよ」と言って、多めに小遣いをもらって、行かずにそれを駄菓子屋で使っちゃうことも有った。母は気がついていたかもしれない。でも何も言わなかった。

日比谷公園へ行くには、佃の渡しで川向うに渡り、明石小学校の前を通って、三吉橋を渡る。渡ると銀座東だ。東銀座ではない。銀座東。大人たちは木挽町と呼んでいた。田舎からきたヘンな駅員が「東銀座」なんて名前を付けたけど、そんな町は銀座にはない。

チョーシヤでコロッケパンを買う。それからマロニエ通りを有楽町に向かって歩く。そしてスシヤ横丁の脇を抜けて、駅のガードをクグると丸ノ内になる。そして日比谷公園。片道一時間くらいの散歩だった。

帰国し銀座に住んで10年。今またその時の道を散歩している。
60年前に歩いた道を歩けることは幸せだ。消えてしまった銀座の大好きなモノを思いながらも、そう思った

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました