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星と風と海流の民#48/扶南王国#03

アンコール・ボレイは古都ヴィヤダプラVyadhapuraがあったかもしれないと云われている地だ。
ヴィヤダプラVyadhapuraは扶南王国後期の首都だ。サンスクリット語で「狩人の都市」という意味だという。狩人とはカウンダニヤKaundinyaを指す。ナーガの王女ソーマSomaと共に扶南王国の創始者である。
しかし実際のところアンコール・ボレイがヴィヤダプラVyadhapuraだったという確証はない。
『梁書』や『南史』をみると、ヴィヤダプラはメコン川下流にあり立農国家だったので、灌漑施設や堀、貯水池などが無数にあったという。そして大規模な貿易ネットワークが経済の基盤で、交易の中継地として大いに繁栄していたとある。間違なく宗教都市だったろう。扶南を支えていたのはヒンドゥー教や仏教だったので、その宗教施設が各所にあったにちがいない。アンコール・ボレイはその中の一つだった可能性はある。・・では、どこまでがヴィヤダプラVyadhapuraかと言うと、これは特定しにくい。
おそらく今のThành phố Châu ĐốcからThành phố Long Xuyênあたりまで、そして湾岸都市Thành phố Rạch Giáあたりが首都ヴィヤダプラVyadhapuraだったたのかもしれない。アンコール・ボレイはその北西、ティエンザン川の西側にある丘陵地帯に位置している。旧い城壁で囲まれた集落が多い所だ。残念なことに第二次世界大戦後に続いた戦いのために大半が破壊されて、今は見る影もないが、それでも此処がその名の通り「アンコール・寺院群が集まる地」だったことは間違いない。


「扶南王国を滅ぼしたのは真臘チェンラだろ?」僕が言うとSuanくんが頷いた。
「はい。彼らは扶南よりも北西に生きる扶南属領国の集団でした。七世紀ごろになって扶南が衰退し内部分裂を始めると、これに乗じて彼らが台頭し、ついには扶南王国を乗っ取ってしまったんです。最初の王はイシャナヴァルマン1世Ishanavarman I,と言います」
「その真臘がクメール王国(アンコール王朝)になったわけだね」
「はい。真臘王イシャナヴァルマン1世は絶大な権力を持っていました。彼はヒンドゥーの神王デーヴァラージャDevarajaだったんです。彼に背くことは神罰を受けることになります」
「でもブッディズムも入ってきたんだろ?」
「はい。小乗的なものですが、アショカ王の頃から浸透し始めています。しかし信仰の中心はブッディズムよりヒンドゥーでした」
「なるほどね。アショカ王の威力をもってしても新興宗教は新興宗教でしかないというわけか」
「はい。それでも知識階級には仏陀の教えは深く浸透していたはずです。真臘がクメール王国に代わった頃から、少しずつブディズムとヒンドゥーとの融合が顕著になります」Suanくんが笑った。

僕らは博物館の周辺を歩きながら展示された石像を見て歩いた。ほとんどがヴェーダの中に出てくる神々の像だった。小乗的な面影のある仏像や仏教的なシンボルは見つからなかった。・・一巡した後、僕らは館内に入った。

「扶南王国を滅ぼした後、100年ほどで真臘は『水真臘Chenla of Water』と『陸真臘Chenla of Land』に分裂しました」Suanくんは目の前に並ぶクメール王国時代の遺品を見ながら言った。
「もともと幾つもの部族の集合体だった真臘チェンラは当初から統一王国としては弱体だったんです」
「神王デーヴァラージャDevarajaがいても?」
「はい。神王から皇帝は生まれなかったのかもしれません。それとやはりロジスティックですね。扶南王国を引き継いだ真臘チェンラ、はあまりにも広く、そしてジャングルに囲われていて、どうしても国全体を制御できるよう交通機関が確立しなかったんだとおもいます。そのために夫々が孤立化して、結果として農業立国である『陸真臘Chenla of Land』と、貿易国である『水真臘Chenla of Water』に分裂したのだと考えられています」
「抗争はあったの?」
「はい。いずれの地も外圧を受け入れて覇を求む戦いをしました」
「北ベトナムがソビエトを呼び込み、南ベトナムがアメリカをよびこんだように・・か」
僕が言うと、二人は沈黙した。
「弱者の戦いはいつも、強者に縋る戦いになる」
「 9世紀頃になると、二つの真臘は再び一つになってクメール王国になりました。実はこのクメール文化を見ると、二つの真臘の軌跡がハッキリと判ります」
「どんなちがいなの?}
「水真臘Chenla of Water』の遺跡は港湾地区や、川の流域にあります。水神を祀る寺院が多いです。
建物も高床式だったり水に強い素材を使ったものが中心です。
『陸真臘Chenla of Land』の遺跡は大半が山岳地帯にあります。建物も石材を利用した堅牢な建造物ばかりです。
特にヒンドゥーが色彩が強いのが特徴ですね」
「アンコールボレイは、それよりも旧い・・ということだね」
「そうです。最古のアンコールのひとつですね」Suanくんが言った。
「プノン・ダ寺院Phnom Da Templeというのがあります」続いてMoauくんが追いかけるように言った。
「プノン・ダ寺院?」
「はい。少し南へ降りたところにあるにあります。山と言っても丘低度なんですけどね。帰りに行ってみますか?」Moauくんが笑いながら得意げに言った。
「扶南王国全盛期の頃に作られたと言われています。今あるのは11世紀になって再建されたものです。プノン・ダ寺院の周辺には古いヒンドゥーの神殿跡や、寂れた仏塔、使わなくなった貯水池などがあります。扶南王国の面影が見えるかもしれないです」
「なるほどね、行ってみよう」

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました