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僕の青春/僕のベトナム戦争/マンハッタン

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#マンハッタン

マンハッタンの思い出#03

マンハッタンの思い出#03

●マンハッタンの思い出#03/トシオくん
ブルックリンブリッジのふもとにあるリバカフェは、ウェイティング・バーがある。昼間は、何とも瀟洒なカフェとして使えるので、僕のNYCのお気に入りポイントの一つだ。
イーストリバーを挟んでマンハッタンの摩天楼が一望できて、ブルックリンハイツを散策したときは、プロムナードから坂を下りて、必ず寄ることにしている。
此処のカウンターテーブルで時折顔を合わせる日

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マンハッタンの思い出#02

マンハッタンの思い出#02

●マンハッタンの思い出#02/ホールドアップ
真冬の雪に埋もれるマンハッタンの話をしていて、真夜中のウエストエンドアベニューの風景を鮮々と思いだしてしまった。20代の半ば。居直るしかないほど貧乏だった頃のことである。
その頃、僕が皿洗いをしていた中国人の店は、帰りに売れ残りの食べ物を持って帰って良いことになっていた。僕は毎夜、残飯をプラスチックのドギーバックに詰めて、腹の中に入れて帰宅していた

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マンハッタンの思い出#01

マンハッタンの思い出#01

●マンハッタンの思い出#0/吹雪のマンハッタン
1975年4月30日サイゴン陥落のあと、僕は憔悴に打ちひしがれながら、彼の地から日本へ戻った。20代半ばだった。でも。まるでぬるま湯のような大学が不愉快で、周囲の伸びきった麺みたいな奴らが「反戦・反戦」としたり顔で言いまくるのが嫌で嫌で、その年の秋にNYCへ出奔した。
まだベトナム戦争の傷が生々しい荒んだ街NYCにだ。
そしてその年の吹雪の深夜

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A列車の悪夢#01

A列車の悪夢#01

A列車の悪夢#01
NIGHTMARE"old woman in Subway#1" #Tokyo #Japan #reminiscences

I had a dream about Manhattan.
He stood on a subway platform. I think it's late at night. I was the only one waiting for the su

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A列車の悪夢#02

A列車の悪夢#02

A列車の悪夢#02
NIGHTMARE"old woman in Subway#2" #Tokyo #Japan #reminiscences
I had a dream.
The accordion pulled by the old woman sounded screeching. The melody was an unsettling tune, atonal and unsettlin

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a Day in the Manhattan#05/1977アッパーウエストのピザ

a Day in the Manhattan#05/1977アッパーウエストのピザ

僕はニューヨークの小さなピザショップが供しているピザが好きだ。
相変わらず1ドルから1ドル50で、ペパロニとチーズが乗った巨大なスライス。これが無類に好きだ。これをコーヒーを飲みながら食べる。本来、ピザはコーヒーと共に食べるもんじゃないんだけどね。やっぱりニューヨーカーなら、コレだね。
今夜は、なぜそんなに1ドル・ピザが好きか?という話をしたい。
話は40年前に遡る。

僕はベトナムへ行った。慰問

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a Day in the Manhattan#03/1978アンリオとデビー

a Day in the Manhattan#03/1978アンリオとデビー

画家のアンリオは右手の親指が無い。彼は週末になると、NYCの彼処で似顔絵を描いて生活している。僕はよく彼をセントラルパークやMETの脇、ブルックリンプロムナードで見かけたが、いつも左手で書いていた。右手は手袋をして、無意識に隠すようにしていた。だから僕は、彼が左利きなんだろうと勝手に思い込んでいた。
ある日曜の夜、グリニッジヴィレッジにあったアヱスタス aestas・・「夏」という名の店で飲んで

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a Day in the Manhattan#02/1976雪のマンハッタン

a Day in the Manhattan#02/1976雪のマンハッタン

1975年4月30日サイゴン陥落のあと、僕は憔悴に打ちひしがれながら、彼の地から日本へ戻った。20代半ばだった。でも。まるでぬるま湯のような大学が不愉快で、周囲の伸びきった麺みたいな奴らが「反戦・反戦」としたり顔で言いまくるのが嫌で嫌で、その年の秋にNYCへ出奔した。
まだベトナム戦争の傷が生々しい荒んだ街NYCにだ。
そしてその年の吹雪の深夜。どうしてもスタッテン島行きのフェリーに乗りたくて

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