ふと思うこと
2年前の8月に、コロナで父が亡くなって。
コロナって本当に亡くなる病気なんだと、何処かで他人事に思っていた現実を突きつけられて、頭の中は真っ白になりました。
あれから2年が経ち、大分気持ちも落ち着いてはきたし元気に居られるようにもなりました。コロナ対策に対しても、大分変わっていって。父が生きていたあの頃と、周りや世界の状況も変わっていきました。2年経った。2年です。それでもやっぱり、時々きゅぅっと寂しさに囚われたり、会いたいなぁって思ったりして。波があります。
父が亡くなってからのまず一年の間に。大切な家族との別れが4回も続いたのが、これまた結構しんどかったから。まぁ、そう簡単にその悲しみは癒えるものでもないはず。父と同じ年の末に、まず最愛の長女猫が亡くなり。年が明けてからは、大好きな母方の祖母が亡くなり。そして少し間を開けてから、祖母と同じ年の11月に、これまた最愛の長男猫が亡くなりました。どうして、こんなにも悲しくて辛い、受け止めきれない現実が続くのか。私が初めて自分で飼い始めた猫達。あの子達が居なくなったら、私はどうしたらいいのかと毎日の様に言っていた、最愛の子達まで立て続けに居なくなってしまうなんて。
そして、いつも最大限の愛情をくれていた祖母まで居なくなるとは。一体、この1年はなんなのだろう。と、訳も分からず過ごしていた1年。そして2年目は、そこから再起していくための年って感じでした。そんな年が、あと1ヶ月ちょいで終わるのかーと思うと、びっくり。そして何だかほんの少しぐったり。自分で思うよりも、私は頑張って生きているのかもしれません。
父が亡くなってから、父の事を考えない日は無かったし。猫達の事もずっとずっと考えているし。祖母の事も頭にずっとあります。そのせいなのか、みんな傍に居るって感じはする。けど、やっぱり寂しいもんは寂しい。
ただでさえ、ずっと無理してやっていた仕事は、父の件を切っ掛けに限界がきてしまい、結局辞めてしまい、無職となって今年で一年を迎えます。前の職に就いた時、父がとても喜んでいた事が忘れられなくて、やっぱり何処かで辞めてしまった事に対しての罪悪感もある。
楽しくもあったけれど、環境的に私には色々とオーバーしていたんだなぁって。続けられなくて悲しい気持ちも、なんとなく仕事に対しての心残りも感じているから、もしかしたらその内、働き方を変えてまた同じ職に戻るかもしれません。いや、分からんけど。自分がどうしたいのかが、まだよく見えません。
父の件を切っ掛けに、日頃から行った方がいいかもしれないと思っていた精神科に通い始めて、1年以上になりました。お陰で、昔より自分を知っていけるようにはなりました。だからより、悩んだりもするけど。永遠にあった、胸の中のどす黒いおもたーーい鉛みたいなものは無くなったのと、いつも自分を否定し続ける自分みたいなものも、殆ど無くなりました。
父の事を切っ掛けに、本当に色々と動き出しました。はたから見たら悪い方向にも見えなくはないけど、割といい方向に向いてるかなぁって。とはいえ、まだ発展途上って感じで。さて、仕事どうしようかなって不安を抱えたまま、時に寂しさの波に飲まれたり、自分が嫌だって波にも飲まれたりもして。割と必死に生きてるな。
基本的に家の中でぼんやりと過ごすことが基本の今だけど、今はこれでいい。これが今の私の精一杯なんだなぁ。それでも大分、回復してきているのだから変に焦る必要も無いとも思ったりもして。
こうして書くと、分かることもあるもんだな。
こんな感じに、つらつらと色々書いたりすると思います。多分。あんまり、読みたいと思えるものは書けないかもしれない。ごめんなさい。
何が書きたいかもなく、なんとなく書こうと思って書いているので、文略とかめちゃくちゃです。思いつくことを思うままに書いてます。誤字もきっと結構ある。うわぁごめんなさい。
あと最近は、戦争のニュースを見ては、ふつふつと怒りを感じてならない日々です。私達の日常を壊す権利なんて誰にも無いし、壊される筋合いもどこにも無いのに。なんでこんな事が当たり前の様に行われて起こっているのか。心が痛くて、怒りを感じてならない。人類はなんで生まれてきたんだろうとか、そんな事を考えてしまったりもする。そんな最近です。
父が亡くなってから思ったこともう1つあったな。私達の日々は奇跡の重なりで出来ている日々で、この奇跡は守り続けて行かなくてはならない、掛け替えのないもの。って。
そんな事を思いながら書いた、1人読み作品もあったりします。(宣伝か)
色々書きました。