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しつもん5 失う前に、気がつきたい幸せはなんですか?

 今日もまたシンプルな質問。失う前に気がつきたい幸せって何だろう。
そもそも今自分が幸せであるかどうかが分からない。うつ病になって一人暮らしして、つらい仕事を1日1日こなしながら生きる事に精一杯で幸せについて考えた事がなかった。

 子供がいたら、子供が居ることの幸せは感じられていると思う。私は幸いにして両親が健在で、田舎に帰れば両親に会うことが出来るのは幸せの一つかもしれないが、もう老い先短いと知っている。ある程度の覚悟は出来ている。

 今私が失ったら一番悲しむもの。自分の健康なのかもしれない。
今日、ベルセルクの作者の三浦建太郎氏が急性大動脈解離で亡くなったとのニュースが流れた。ベルセルクが未完のまま終わってしまった事になる。続きを楽しみにしていた読者も多いだろうが、もちろん一番残念に思っているのは亡くなった本人であることは間違いない。54歳。まだ創作者としては脂の乗っている時期。さぞ無念であった事だろう。

 翻って自分に主眼を戻した時、私は今生きている。うつ病で苦しみながらだけれども生きている。モートン病と言うレアな病気を患い、常に右足先が痛む病気も抱えている。それでも生きている。

 今、地球上で立って生きていられる。それが私の一番の幸せなのかもしれない。

 幸せの定義を考えた時、うつ病で苦しみながら生きている状態を幸せと言えるのか。との根本的問題に直面する事もある。
うつ病の人の中には「生きていて良い事なんてない」と希死念慮が沸いている方も多い。私も鏡の自分自身に向かって「死んでしまえよ」と叫んでいる事もある。

 ただ、事実として今私は生きている。テレビも見る事が出来る。映画を見に行くことも出来る。ゲームをする事も出来る。ドライブに出かける事も出来る。LINEで地球の反対側に居る友人と会話する事も出来る。

 今コロナ禍の中で都内の映画館は軒並み閉館しているが、今年は映画が当たり年で、今少なくとも3本見たい映画がある。
・劇場版『名探偵コナン 緋色の弾丸』
・『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』
・「劇場版 Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット-」後編
少なくともこの3作品を見終えるまでは死ぬ訳にはいかない。

 病気は抱えているが、生きている上で楽しみたいと思える事は持っている。それが叶えられたらそれもまた一つの幸せであろう。

 YOASOBIの『優しい彗星』をカーステレオから流しながら深夜の首都高を走りたい。また、それを実現出来る手段を私は今持っている。

 今自分が思うささやかな喜びを実現出来る手段を持っている事こそ、自分の幸せなのだと思う。

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