しつもん1 あと何回桜を見られるだろうか? これまで観た最高の桜は? もう一度、何度でも観たい桜は??
「明日しぬかもよ?」 と言われたら貴方はどう行動するだろうか。
ここでは ひすいこたろう さんの「あした死ぬかもよ?」の書籍にある質問について、ひとつづず感じた事を記載していきたいと思う。
しつもん1 あと何回桜を見られるだろうか?
この記事を書いている現在46歳。もし80歳まで生きるとしたら、あと34回桜を見られる事になる。34回。後半はもう認知症が始まっていて、桜を満足に桜と認識出来なくなってきているかもしれない。70歳ぐらいまでは自分の足と意識がしっかりした状態で桜が見られるだろうか。だとしたらあと24回だ。
今年は仕事が忙しく、満足に桜を見る事が出来なかった。見たのはベランダから眺められる神社の大桜と、参道に植えてある数本の桜を見ただけだ。
Twitterのフォロワーさんの中で旅行好きな人が居て、毎週、いろんな地域の桜の写真をアップロードしていた。桜前線の北上と共に、自身の旅行先を北に向け、常に満開の桜をアップロードしていた。
そんな彼が羨ましかった。時間があって、桜前線と共に移動出来る行動力に。私も桜を見たかった。しかし結果として見たのは近所の神社の桜。少し重い腰をあげて、自転車で川べりまでサイクリングするだけで十分満開な桜が見られたはずなのに、今年はそれをしなかった。後悔だけが残る。
もしかしたら来年の春には私は生きていないかもしれない。あと桜が何回見られるかとはそう言う問いを含んでいる事だ。今その時その時を精一杯生きていないと常に死ぬ間際に後悔を残して死ぬことになる。
「来年また見れば良いや」。その来年は来ないかもしれない。
今のままでは死ねない。もう一度、桜を見るまでは死ねない。後悔を残さないために、まずは来年まで生きていたい。それが叶うかどうか分からないのが人生。今一瞬を精一杯生きたい。
これまで観た最高の桜は?
私は毎年芝桜を見に行っていた。秩父の羊山公園と言うところが芝桜のメッカで大変な人で賑わう。最初の頃はそこまで有名でもなく、程よくお散歩しながら桜を愛でるには良い場所だった。
しかし近年はYahoo!のトップページに取り上げられたり、西武鉄道とのコラボキャンペーンもあり、もの凄い人混みになってきてしまった。人混みの中に桜が咲いているような状態にまでなってきていた。さすがにそこまで混んでしまうと興ざめした感もあり、昨今は足が遠のいてきてしまっている。
やはり自分の中での桜の場所はあまり人には教えたくない。自分の心の中でだけ咲き続けている桜であって欲しいと思う。それも贅沢な話かもしれない。でも思い出の中の桜は自分だけのもの。そこには自分と桜だけの対話があるのかもしれない。
もう一度、何度でも観たい桜は??
福島の三春の桜を見たいと思う。まだ肉眼では実際に見た事は無い。ただネットではこれでもか、と言うぐらい報じられている桜だ。ネットで何度でも見ても飽きない。
ネットでこれだけ騒がれているぐらいだから、見頃の週末に見に行ったらとても足の踏み場もないぐらいの状態だろう。ただ見たい。常に思っている。だが行動に移せてない。そうこうしているうちに私の方が寿命を迎えてしまいそうだ。
ネットの中だけの存在となるか、自分の心に焼き付ける事が出来るか。可能であれば後者でありたい。