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ポンコツのクリスマス

#Xmas2017

そもそもこんなハッシュタグなんて
僕には無理ゲーである。

さつまいも飲み物無しで食べながら
栗きんとんを口に突っ込まれるくらい不快だ。
喉がモソモソになってげほげほしてしまう。

無論、サンタさんは大好きだ。
中学生くらいまで全力で信じてプレゼントを健気に待とうとしていたくらいだ。
(中学生になるといよいよ周りからの、やけに現実的であり得ないよな的な同調圧力が強まったが、僕は負けずに信仰を貫いた)

なんと欺瞞と偽善に満ちた
フェイクなイベントになってしまったんだ!

クリスマスはジーザス・クライストの誕生日だ。
要はキリスト教信者にとっては神聖で日常で染み付いてしまった俗世間の垢やゴミのような煩悩を祈りを捧げて落としましょう的なノリなはずなんだ。

しかし近頃のポンコツども(自分です、ええ。)
ときたらいつもほったらかしにしてるパートナーの地ならしをするために、ここぞとばかりに
「僕は君を愛してるよ」というための舞台だと思っている。

ええぃ!けしからんんんん!


"12/24,25はリア充しよう"
なんて法律ちゃっかり作っとんかいな。
なんだ立法化されてない自然法とでも言うのか。バカたれめ。

SNS見てても洗脳されそうになる。
「メンタリスト○○○○○がプロデュースする恋愛SNS」「クリスマス前になるとマッチング率が急上昇!」

羨ましいね、うん。

こんな商業主義に染まってしまったクリスマスを危惧して2012年にはローマパパ(法王ね)が異例の声明を出した。

クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう。

つまり、ウかれてるリア充は
今すぐ馬小屋で座禅しやがれってことだ。
要は馬糞だ、うん。
(妬いてるだけなんです、許してやって下さい。)

かくいう僕のクリスマスの原風景は
小学生の時にさかのぼる。
初めてもらったファンタジー小説にハマりすぎて
3日間くらい没頭して読んだ。その印象が強くて僕にとってクリスマスといえば自分は温まりながら本を読み、家族は思い思いに家で過ごす団らんの追憶になっている。

人と比べるのは良くない。
要は僕のピュアで素朴なクリスマス観を
セロトニンとドーパミンとアドレナリンを人為的に刺激することによって、ロマンチックな雰囲気を出そうとする商業主義や恋愛史上主義に侵犯されたくないだけなのだ。

特にTwitterとかInstagramとかFacebook系の領空侵犯が激しい。

ポンコツはムスッとしつつミルクセーキ片手に好きな本をフリッピングしまくるに限るんだ。

ぼっちな
そしてあまりに
センチメンタルな
ポンコツの生態系が
最もその威力を発揮せざるを得ないのが
このジーザス・クライストの誕生日なのだ。

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