「鹿鳴館の夜」昭和から平成へ。 案内と食器、メニューで見るレストランクレッセントの歴史(12)(13)(14)
芝公園に63年間の歴史を刻んだレストランクレッセント が、静かにその幕をとじる。このnoteは、そのことをきっかけとして、創立者であった石黒孝次郎が、クレッセントハウス内で展開していた様々な事を、手元にあるわずかな資料をもとにまとめるようになりました。
本日、閉店の日。投稿しはじめた当初は、閉店のその時までに、これらの資料をまとめようと思って取り組み始めたもののなかなか追いつかず、すくなくとも、年内いっぱいはまだ建物も残っているということで、引き続きまとめて行きたいと思います。
紳士の遊び心あふれる「鹿鳴館の夜」晩餐会は、バブル期を迎えた頃の昭和61年から、昭和から平成へと時代の移り変わりを経験しながら、第14回を迎えます。ちょうど大きく時代が変わっていく頃。このあと、バブル崩壊とともに、時代は大きく変わります。それを目前としたこのときは、この時代最後の「古き良きひととき」でもありました。
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秋深く、菊花咲き乱れ、紅葉も美しく色づいた今日この頃、皆様方には益々御清祥のことと御慶申し上げます。
第12回を迎えた本年の晩餐会は、例年と幾分趣向を変え、「キュイジーヌ・ド・ラ・シャス」は西洋欧料理の古典であり、狩猟によって得られた獲物(ジビエ)を調理する伝統によって培われた、剛健な貴族の味であります。何卒、明治の香高き芝公園に皆様お揃いで御来駕下さり、独特の雰囲気のなかでご賞味ご歓談下さらんことを館員一同おまち申し上げております。
昭和61年10月(第12回)
クレッセントハウス主人 石黒孝次郎
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日頃にも秋深まり、菊薫る頃となりましたが皆様方におかれましては、益々御清祥のことと御慶申し上げます。
「鹿鳴館の夜」の晩餐会も回を重ね、第13回を迎えることになりました。今回は、現代料理の基盤の出来た時代(18世紀〜19世紀前半)に作られたお料理を御賞味いただこうと計画しております。
この時代は、ナポレオン1世の全盛期で、皇帝のおかかえ料理人であったデュナン親子や、タレーラン公爵に仕えたアントナン・カレーム、又19世紀最大のオーナー、ルイ・ビニョン等は現代にいたるまでその名を知られております。
18種程の料理を6〜7時間もかけて楽しんだといわれる晩餐会の雰囲気を心ゆくまで味わっていただきたく御案内申し上げます。
昭和62年10月(第13回)
クレッセントハウス主人 石黒孝次郎
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日1日と秋深まり爽やかな紅葉の季節となりましたが、皆様方には益々御清祥のことと御慶申し上げます。
昨年は前陛下御不例の為、当「鹿鳴館の夜」晩餐会を延期させていただきましたが、吾々の願いも虚しく陛下は崩御され、あらためて時代の映るのを感じました。尚、今回は明治23年春、ヴィクトリア女王の第6王子コンノート殿下がマルゲリート妃と共に訪日された際、皇居旧西の丸に完成まもない新宮殿千種の間に於いて催された、天皇招宴大晩餐会のメニューを基調として組み立ててみました。
明治新政府によって諸外国との外交が盛んに行われるようになった蔭に、当時習得困難であったフランス料理を各国駐日大使館等で苦心修行して、この様に華麗な大宴会を成功させた日本人コックの努力も、忘れてはならない事と思います。
何卒明治の香高き芝公園に皆お揃いで御来駕下さり、宮廷料理を賞味されながら、美しい秋の夜を存分にお楽しみ下さいます様、御案内申し上げます。
平成元年10月(第14回)
クレッセントハウス主人 石黒孝次郎